【夢と現の狭間に】 「月の沙漠はどこまでも。」

 『終わりのはじまり』という言葉がある。
 それが意味する事は判っているし、小説フィクションの中ではそれが当たり前のように存在し、様々な選択とその果てを観てきた。
 彼らはその生き様から、必然とも言える選択肢に進み、それぞれが相応の末路を迎えていく。レールを外れてしまった者は言葉通り物語からの脱落を意味し、例外なく消えていった。
 ここから得られる教訓は、“たとえどのような形であれ見える道を進め。見えない道を撰ぶならば相応の報いを受けよ”ということである。そしてそれは、小説フィクションであれ現実ノンフィクションであれ、例外はない。そう、なんであれ。
 ただ、それがいきなり自分の目の前に用意されたとして、教科書通り従容と従える人がどのくらいいるのだろうか。
 少なくとも私は、そう在るべきとは考えていなかったし、むしろ普段の反動として、もっと取り乱すものだと思っていた。
 そう、ついさっきまでは。

 青白い月明かりに浮かぶ砂浜は、異世界の砂漠のような静けさだった。すぐそばには海が迫っているはずなのに、月の道標以外は何も見えない、境目のない茫漠の世界。
 確かなものは、手のひらを通して伝わる温もりと、耳を擽る優しい歌声だけ。私たちは、互いの表情すらはっきりと見えなかった。
 静々と打ち寄せる波、そして砂を踏みしめる音が静かに響く。その合間に、彼女が口ずさむ歌がするりと入り込み、薄闇の中で溶けていく。自分たちの輪郭とともに、溶けていく。
 こんなふうにふたりで歩いていると、昔のことを思い出した。私たちがまだ、世界という言葉の中に溶け込んでいられた頃のこと。たとえどんなに不器用な形でも、世界と同化しようと駆け回っていた頃のこと。そしてそれでいてなお、世界には私たちだけが一番だと、無邪気に信じられていたこと。
 それら全ては、今となっては遠い夢の中なのだけど。それが夢であることを、少しずつ重くなっている足元が教えてくれていた。
「ふふ。まるで、わたしたちみたいじゃない?」
 口ずさんでいた歌の続きのような彼女の言葉に、意識を引き戻される。なにが、なんて聞き返すのは野暮というものだ。
「そうだね」
 短い言葉で肯定すると、握る手に力がこもった。きっと、否、間違いなく嬉しそうに微笑んでいる。
 このままずっと、二人で歩いていけばいい。足に纏わりつく重さなんて、気にならない。だって、彼女が笑ってくれるから。
「今さ、世界の誰も連絡できないんだよね、わたしたちに。この世界の一部であるはずなのに、今はだれも私たちには連絡できないし、私たちにもその気がない」
 歌うように続ける言葉に、私は静かに同意した。とても、素敵。
「この先に、何があるのかな」
 ふと気になって、そんなことを聞いてみた。
「うーん、どうだろう。ファンタジーだと、綺麗な街とかお城とか?」
「それはいくらなんでも。でも、あるといいなあ」
 重く引きずられる足とは真逆の、軽い言葉で囁き合う。これから行く場所は、どんなところなのか。
「古典でもあったよね。ほら、浪の下にも都の候ぞ?」
「なんで疑問型なのよ。それにあれはちょっと違わない?」
 思わず呆れた声になってしまい、苦笑いが漏れた。しかし。
「でもまあ、別になくてもいいじゃない。わたしたちで作れば、さ」
 そんなことを吹き飛ばすほど、素敵な誘惑だった。
「うん、そうだよね」
 少しずつ歩を進めるたびに、さっきまで足だけだった重さはもう腰まで上がってきていた。足元はもちろん見えず、何かに取られそうになりながらも歩いていく。
「それじゃ、行こっか」
 身体中に纏わりつく重さに負けじと、お互いの手をしっかりと握る。私たちの手は、もう離れない。これからも、永遠に。
 最期に、空を見上げた。青白い十三夜の月が、私たちを見下ろしている。
(……さよなら)
 誰にともなく、ぽつりと。同時に視界が一気に溶け、白い泡に覆われる。吐き出した息は、冷たい水となって戻ってきた。
 何も見えない。何も聞こえない。確かなものは、手のひらを通して伝わる温もりだけ。
 けれど、それだけで十分だった。他にはなにもいらない。
 私たちはこれから探しにいくのだ。波の下にある、月明かりの美しい都を。

 二人で。

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