【夢と現の狭間に】 「1日遅れの宴。」

「それじゃ、今年も無事に過ぎましたということでー」
「なんでアンタがそんなに楽しそうなのよ」
「んっふっふー。それじゃ、かんぱーい!」
「……乾杯」
 見た目いつも通りの友人が、まったくいつも通りではない調子で笑っている。まったく、と思いながらも静かにグラスを合わせた。澄んだ音が私たちの間に響いたのも束の間、彼女のグラスはすぐに空になった。
「ぷはー。久しぶりのお酒はおいしー!」
「相変わらずの笊っぷりね。羨ましいわ」
「えへへー」
 無論、皮肉である。しかし、当の彼女はわかっているのかいないのか、無邪気に笑って手ずから二杯目を満たす。もちろん、注いだ傍から流れるように消えていく。ああもう、何もかも可愛いけど、その緩んだ顔はなんとかならないものか。
「随分といいペースじゃない。何か良いことでもあったの?」
「こうしてちゃんと顔見るのは一ヶ月ぶりだからねー」
 私が仕事忙しかったのもあるけど、なんて言いながらさらにもう一杯。というかペース早過ぎじゃない?
「それに、毎年この一ヵ月はほとんど連絡つかないし、何より誕生日は連絡したって絶対返してくれないし、顔も見せてくれないじゃない」
「……」
 それはまあ、そうなんだけど。それについては今更言い訳する事もないので、素知らぬ顔でグラスを空けた。
 自分でお代わりを注ぎながら、彼女との付き合いももう長いな、などと今更のように考えた。どのくらいだっけ、と数えようとして、既に両手では足りない事に気づき、
「何か変な事考えてるでしょ」
 ……目敏い。というか口には出していないのに、顔に出てたんだろうか。
「そんなこと。ただ、麻莉との付き合いも長くなったな、なんて」
 誤魔化すように言いながらも、頬が弛むのが自分でもわかった。彼女は、わかってると言わんばかりに微笑むと、ふにゃりと頬を緩ませる。気づかれたことがなんだか気恥ずかしくて、そっと目を伏せて手許のグラスを傾けた。

「ねーえー、どーうーしーてー」
 うわ、呑まれやがった。
 しばらくお互いに、近況報告やらとりとめのない話をしていたと思ったら、いつのまにか彼女は随分とお酒を空けていたらしい。気がつけば、テーブルの横には空き瓶が5本も転がっている。そういえば最近しばらく仕事が忙しくて、まともに休んでないとか言ってたっけ。そこでこんな呷るように呑めば、いくら笊でもそりゃ効くわ。って、これ私の隠してたワイン? いったいいつの間に、どうやって見つけたんだ。
「なんで、お祝いさせてくれないのぅ……」
 私が呆れているのをよそに、彼女は涙を浮かべながら呟いていた。
「わたしにとっては誰よりも大切なのにぃ……」
 ああもう、すっかり酔ってるな、これは。
 テーブルに突っ伏しながらもグラスからは手を離さず、涙目の上目遣いで私を睨んでくる。そんな彼女の頭をそっと撫でると、小さく溜息をついた。子供扱いしないでよー、とぐずりながらわたしの手を取ろうとするが、ふらふらで力の入っていない彼女をあしらうのは容易い。
「……私にとっての誕生日は、最大の厄日なのよ」
 どーしてー、とじたばたを繰り返す彼女をあしらいながら、私も酔って緩んでいたんだろう。思わず呟いていた。
 麻莉の動きが止まる。対する私は、彼女の頭に手を置いたまま、言葉は止まらない。
「1日が終わるとほっとするの。今日もとにかく無事に終えられて、一人で安息の夜を迎える。でも、次の朝に無事に目覚めるかはわからないし、できればこのままずっと眠っていたい。でも今の私には、それが許されない。そうやって諦めながら幾度も温かな夜を越え、冷たい朝を迎える。目が醒めることを当たり前と見ている人たちには、わからないだろうけど」
 普段、こんな喋り方をすることがあっただろうか。しかも、麻莉を相手にして。間違いなく酔ってるな、と認識しても、止まらない。一度崩れた堤防から、水は止まらないように。
「自分がとりわけ不幸だなんて思っていないし、可哀想だとも思っていない。わたしの身に起こったことなんて、私自身が生まれてきたことに比べたら、本当になんでもないことだから」
 わかっているのかいないのか。言葉も、感情も。
「生まれてきたことを肯定したら、わたしはもう一日も、生きてはいけない」
 不意に、彼女が私の手を取った。アルコールのせいで軽く火照った肌が、私の冷たい手を包み込む。そして体を起こすことなく、頬にすり寄せた。
「……わたしたち、もうすこしだけはやくであってたらよかったのにね」
 麻莉の温もりと柔らかさ。そして何より、彼女が小さく呟いた言葉に驚いて、思わず顔を見る。しかしどうやらそこで力尽きたのか、既にすやすやと可愛らしい寝息を立てていた。
 いったい、どういうつもりで。言葉の意味を考えようとしても、包まれた手から伝わる温もりがそれを許してくれない。そっと離そうとしても、眠っているはずなのにどうしてかしっかりと握られていて動かせない。これは、是非もないな。小さくため息をつくと、彼女の片手、握られたままのグラスを抜き取った。
 彼女は目を覚さない。この調子なら、起きたら忘れてるだろう、きっと。
 流されてつい話してしまったが、本当なら抱えたまま沈むつもりだったのだ。今日の私はどうかしている。

 ああ、でも。どうかしているのなら。酔っているのなら。
 たまには、ちょっとくらい甘えてもいいよね。だって、手を離してくれないし。

 隣に座る彼女にそっと寄って、目を閉じる。
 手だけでなく、半身から伝わる温もりが眠気を誘ってくる。
「……今日は、酔っているのよ」
 誰にともなくもう一度言い訳をして、眠りの波にそのまま誘われることにした。

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