【夢と現の狭間に】 「窓の外。」

 騒がしいのは、好きじゃない。

 図書委員などという学校生活においては誰もがやりたがらないであろう閑職に、好き好んで立候補した上に三年間も続けているのは、それが理由のひとつである。
 そもそも、昔から一人でいるのが好きだった。たかだか十数年しか生きてない小娘が、と人によっては言われたりもするんだけど(実際親戚の集まりで、お酒に酷く酔ったおじさんには言われたことがある)、どうしてもみんなで集まって何かする、というのが好きになれなかった。特に同じクラスの女子達が集まって四方山話に花を咲かせているのを見ると、言葉には出さないまでも気持ち悪いと思ってしまう。時々気を利かせたつもりで話を振られたりするけれど、そもそも内容がわからないので曖昧に愛想笑いをするだけ。繰り返しているうちに自然と距離ができ、数名の親しい友人以外は話すことはほぼなくなった。故に教室に居ても疲れるだけなので、こちらに流れてきたのは必然でもあったわけで——
 と。なんだか、しょうもないことに思考が迷走してしまった。外の鬱々とした風景に、引っ張られ過ぎたのかもしれない。カウンターの向こう側、窓から見える空は分厚い雲に覆われ、今にも雨が降りそうなほどだった。でも実を言えば、これくらいの天気の方が好きだったりするんだけれど、それはまあさておき。
 さっきから扉の向こう側がやけに騒がしい。誰かが廊下で馬鹿騒ぎしているんだろうけれど、それにしては様子が違う気がする。それに、だんだんと近づいてきているような。おかしいな、なんて思いながら扉に目を向けていたら、がらり、と勢いよく引かれ、喧騒が一気に大きくなった。
 わいわいと騒ぎながら、数人の生徒が入ってくる。見覚えのある顔ぶれ、どうやら私と同じクラスの人だけど、どう考えてもほぼここには用のない人たちのはず。と、後ろから委員長が出てきたけれど、何かあったんだろうか。そんなことを考えていたら、まっすぐこっちに近づいてきた。
「あ、いたいた」
「ほら、やっぱりここにいたじゃん」
 遠慮会釈のない声が響く。というか一応図書室なのだから、騒がしいのはやめてほしい。
 他に生徒は数人しかいないし特に注意するまでもないとはいえ、視線だけで抗議の意だけは示しておく。
「ちょっと、図書室では静かに。ごめんね、山城さん」
 見かねた委員長が、申し訳なさそうな様子で私の代わりに彼女らを諌めてくれた。
「えと、何か御用ですか」
 つい堅苦しい言い方になってしまったけれど、クラスメイトとはいえ特に親しいわけでもないので問題ないだろう。せっかくの静かな時間を邪魔されたので、それの抗議の意も含めてだし。まあ、伝わらないだろうけど。
 そんな私の様子を知ってか知らずか、委員長が言葉を続けた。
「えと、明後日なんだけど、クラスで集まってクリスマスパーティーをやるんだ。会の最初だけだけど先生も呼んでるし、せっかく高校最後だからみんなに声掛けようってなって」
「そうそう、山城さんもせっかくだから来なよー」
「みんなでやったほうがたのしいじゃん?」
 何を言い出すかと思えば。
「あ、えと、その日は」
「え、まさか高校生にもなって家族と過ごすとか?」
「そんなことないっしょ。それともカレシとかいるの? だったらいっしょに連れてくればー」
 こちらの言葉を待たずに、食い気味に捲し立ててくる。
 まったく、余計な世話だ。話を聞く気がないなら帰ってもらいたい。と、私が顔を顰めているのに気付いたのか、委員長が執りなそうとした。
「えと、ごめんね。どうかな?」
「ごめんなさい、その日は用事がありますので」
 委員長とはいえ、別に親しいわけじゃない。そもそも話を聞く気がないのであれば、別に気を使うことはない。あまりの傍若無人さ、さすがに腹に据えかねて素っ気なく一息で言い切り、手元の本に目を落とした。
「そ、そっか。お邪魔しました、騒がしくしてごめんね」
 私の態度にさすがの委員長も察したんだろう。後ろの二人に慌てて声をかけると、そそくさと扉の方へ向かった。
「だから言ったじゃーん、山城さんは絶対来ないって」
「それでもさ、一応同じクラスなんだし」
「やだー、委員長ったらマジメー」
 まったく、そういう会話は外に出てからやってほしい。まあ、別に何言われたところでどうでもいいんだけど。
 委員長と違って私の様子に全く気付いていない二人は、キャハハ、と品のない笑い声をあげて、扉の方へ消えていく。直後、「あ、ごめーん」などという声がしたので、きっと誰かにぶつかったんだろう。まったく、周りを本当に見ていない。まるでゲリラ豪雨だったな、なんてことを思いながら、扉が閉まる音を聞いた。
 ふと気になって、目線だけで周囲をさっと見渡し、特に状況は変わっていないことを確認する。カウンターでの騒ぎは、今ここに来ている生徒達には特に気になることでもなかったらしい。まあ、それもそうか。
 うるさいなあ、とは思っても別に延々と騒いでいたわけでなし、用事が済んだらさっさといなくなったわけだし、関わり合いになる方が面倒、ということだろう。うん、私でもきっとそうする。
 やれやれ、とため息をついて手元の本に目を落とすと、一つの文章が目に入った。
——神の恵みは豊かなれ 何の不幸もあなたには来ぬように
「……ばかばかしい」
 つい、物語の彼よろしく毒づいた。

 利用している生徒の数が、一人減り、二人減り、元より多くないそれはすぐに誰もいなくなった。とうとう無人の図書室に——と言うには語弊があるか。私がまだここにいるのだから。
 カウンターに置いてあるデジタル時計が、もうすぐ閉める時刻であることを伝えてくる。今日もいつも通りに何もなく、平穏な一日だった。明日から休日だし、次に来るのは年明け。雑多な仕事はとうに片付き、今年の用事は全て終えた。あとは閉めるのみ、ということで、最後の見回りのために席を立った。
 見回りとはいえ、特に何か大きな仕事があるわけじゃない。等間隔に並ぶ本棚の間をゆっくりと歩きながら、時折ふと現れる窓の外を眺める。
 外の世界は、黄昏時という名の通り薄闇に覆われ始めていて、ここからでは既にグラウンドの人影すら朧げだった。遠くに見える太陽は、もう細い光条を残すばかりで山の陰に去りつつある。空を渡り、太陽まで真っ直ぐ伸びる天の橋。あれだと梯子というよりも浮桟橋かな、などとどうでも良いことを考えた。
 この図書室は空調がしっかりしているので、窓はそもそも開かないようになっている。そういえばいつだか司書の先生が、実は学校の中では片手に入るほど、お金の掛かっている場所だって言ってたっけ。一般教室と違って窓閉めの必要がないのに、見回りではつい窓に目を向けてしまう。開かないからこそ、というものだろうか。是非もないな、と思わず苦笑いする。
 そこそこの広さがある図書室を一周すれば、時間はあっという間である。ポケットから懐中時計を取り出して時間を確認し、今日はどこから帰ろうかな、なんて思いながらカウンターに戻ってくれば、
「……遅いですよ」
 なんともまあ、不貞腐れた顔をした後輩に迎えられた。今日は何かあったのか、いつにも増して不機嫌な表情が際立っている。
「閉める前の見回りしてたの。っていうか、なんで居るのよ」
「別にいいじゃないですか。私だって図書委員なんですから」
「それはそうだけど」
 奇妙なことに、表情と台詞と口調がなぜか一致していない。置きっぱなしにした私の本を勝手に読みながら、じっとりとした重さの声が私を責めてくる、気がする。
 とはいえ、さっきのこともあり、今日は雑談に付き合う気分じゃなかった。完全下校の時刻も迫っているし、とにかくもう帰りたい。
「まあいいよ。今日の仕事ならもう終わってるから、用事がないなら帰りたいんだけど」
 言葉に乗せてから自分でも驚いたが、いつもの私らしからぬ突き放した言い方になってしまった。どうやら思っていた以上に気分がささくれ立っていたらしい。
 ちょっと言いすぎたかな、と思いながら様子を伺う。彼女は本に目を落としたまま、けれど、少しだけ肩を震わせた。そして、
「……そうですか」
 静かに一言だけ言って、席を立つ。手元の本を置く代わりに荷物を取ると、こちらを見ずに歩き出した。
「え、ちょっと」
 急な動きについていけない私を尻目に、お邪魔しました、と一言だけ残して、彼女は出て行った。いつもなら、扉のところで立ち止まって私を急かすのに。
「何なのよ、もう」
 何か用事があったんじゃなかったのか。というか、一人で帰ることないのに。色々釈然としないまま、自分の荷物を片付ける。最後に彼女が置いた私の本を手にしてカウンターを出た。
 職員室で鍵を返し、昇降口から外に出る。日没はとうに過ぎていて、申し訳程度に空の端が明るいだけで、分厚い雲もあいまってあたりは薄闇に沈んでいた。
 風はないけれど、刺すような冷たさが服越しにじっくりと染み込んでくる。
「……寒いなあ」
 思わず出た言葉は、白く溶けて消えていく。ため息と共にマフラーを引き上げると、駅への道を急いだ。

 気持ちが落ちている事とついていない事というのは、得てして重なるものらしい。
 やたらと騒がしい商店街をどうにかやり過ごしながら駅に着いたら、やたらと人が溢れていてどうにも騒がしい。案内表示を見ると、何かのトラブルで止まっているらしい。復旧には相当時間がかかる見込み、と出ていた。
 ああもう、本当についてないな、とため息をつく。とはいえ、動かないものは仕方ない。迂回ルートを取れないことはないけれど、今日はなんだかそんな気にもなれないので、電車が動くまでしばらく時間を潰すことにした。
 人混みを背に、商店街の外れの方へ歩いていく。駅からは少し離れているけれど、雰囲気が気に入っていてたまに足を運ぶことのある喫茶店に入る。
 髭のマスターがいつも通りの低い声で迎えてくれて、ここはいつも通りなんだな、とどこか安心できた。
 窓際のいつもの席に座ると、マスターがカフェオレ持ってきてくれる。頼んでないのに、と思ってマスターを見上げたら、髭の奥でそっと微笑んでいる。言葉はなくても、ああ、見透かされてるな、とわかって、素直に受け取った。
 一口飲めば、じわりと熱が広がってくる。店内に低く響くFENもあいまって気持ちが落ち着いてきたので、本を続きを読もうと鞄から取り出した。栞紐を頼りに開くと、何かがはらりとこぼれ落ちる。
「ん? なんだろ」
 テーブルの上に落ちたそれを拾い上げると、それは小さなメッセージカードだった。
 本の栞よろしくデザインされたそれは、二つ折りでその内側にメッセージを書けるようになっていた。とある神社の幸運御籤みたい。
 それにしてもこんなの持ってたっけ、と何も考えずに開いたら、当然そこにはメッセージが残されていて。
「……ったく、あの子は」
 思わず立ち上がる。立ち上がった拍子にマスターと目が合ったが、私の様子を見て、ただ静かに頷いた。
 それに背中を押されたわけじゃないけれど、私はすぐに店を飛び出した。あ、マスターのカフェオレ、飲み損ねたな。あとでお礼言わないと。
 商店街の中をまっすぐ走っていく。メッセージには駅と反対方向の場所が記されていた。そこは幸か不幸か、ここからそんなに遠くない。
 果たして、彼女はそこにいた。時間は書いていなかったとはいえ、いったいいつから待っていたのか。
「あんた、なにしてんの。こ、」
 全力疾走してきた後、冷たい空気のせいで喉に負担になったらしい。こんなところで、という言葉は、思いっきり咳き込んでしまい続けられなかった。
 彼女は振り向く事なく、遅いですよ、と文句を言う。いや、時間の指定もなしに。というか、あんなやり方で本当に来ると思ってたのか。
「来てくれないと、思ってました」
「なんで」
 元より運動は得意じゃない。息が切れて、とても言葉を取り繕う余裕がなかった。時間の指定もないしイタズラだと無視するか、そもそも気が付かないか。彼女の返答を考えていたら、予想外の言葉が続いた。
「だって、先輩はいつも無関心だから」
 瞬間、寒さのせいではなく、心臓がひやりとする。彼女の目から私は、そう見えていた。そう見られていた。たった一言でその事実を理解し、全身が凍りつく思いだった。
「……そうかな」
「そうです」
 いつもの私らしく、言い繕う余裕すらない。確かに彼女の言う通り、ほとんどの事柄については無関心であることは、間違いないから。
 けれど、彼女だけは、違う。しかしそれをどう伝えたものか。考えあぐねていると、彼女が不意に振り向いた。
「ひどい顔してますよ」
「……誰のせいよ」
 思わぬ追撃に不貞腐れた声で答えれば、彼女が声を出して笑った。それはもう、とても楽しそうに。
 その笑顔が眩しくて、とても愛おしくて、さっきまでの冷たさはどこへやら、私もつられて笑う。
 不意に、彼女がそっと手を差し出してきた。仲直りのつもりだろうか。別に喧嘩したつもりはないんだけど。
 お互いの手が重なり、ふたつの温度が交わる。と、その手の上に小さな粒が触れ、溶けた。
「あ」
 二人で空を見上げる。分厚い雲の暗さ故にはっきりとは見えないものの、白い羽が舞っていた。イルミネーションの明かりにうっすらと浮かび上がり、空を踊っている。
「ホワイトクリスマス、ですね」
「どっかで聞いたわ、そのセリフ」
 二人でまた、笑う。空を舞う白い羽はゆっくりと、だが確実に積もり始めた。
「先輩」
 彼女は少しだけ、張り詰めた声を出す。
「今日は、帰りたくないな、なんて」
 たどたどしく、けれど、確実な意思を持って、切り出した。
「……」
 それを聞いて、私にどうしろと。いや、答えは決まっている。
「ほら、いくよ」
 そう言って、彼女の手を引いて歩き出した。
「ちょっと、先輩!?」
 どこにいくんですか、なんてわかりきった質問を。手を引きながらも様子を伺えば、急に引っ張られ慌てているふりで、その表情は楽しそうに笑っていた。
 普段はあまり、意思を出さない私だって。今日くらいは、素直になってもいいじゃないか。
「ありがとね」
「何か言いましたか?」
 聞こえなくていいのに、どうやら耳に届いていたらしい。聞き返し方がわざとらしいのよ、まったく。
「なんでもない」
 頬が緩んでくるのは止められない。お互いに顔を見なくても、きっと緩んでいるのは間違いない。
 なんでもない時に当たり前に二人でいることが多いけれど、やっぱり特別な日に二人でいられること、これ以上の幸せはないな、と思う。
 喫茶店の屋根の風見鶏が見えてきた。とりあえず手始めに、マスターのカフェオレを飲ませよう。マスターに、さっきのお礼も言わないといけないし。
 そんなことを心に決めて、彼女の手を引いて扉を開く。
 マスターの低い声が、おかえり、と迎えてくれた。

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