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「解放されていくこと」、「自分を喜ばせること」

前回の診察のときに、いま手元にある分を貼り終わったら、胸のテープはそろそろ貼らなくてもいいだろうというので、12月頭の手術以来、胸のキズにずっと貼っていた傷跡テープを月曜日の夜に外した。

テープのない、生身のキズ跡。
まだ、薄ピンク色ですらなく、赤みの残る斜めの線。
傷の盛り上がりはずいぶん落ち着いて、キッパリとした一本の線になっている。
きっと人から見ればまだ生々しくすらあるだろうし、テープを外して晒されることは少し心許なくもあるけれど、自分にとっては勲章のようでもある頼もしい線だ。

手術のあと、酸素マスクが外され、カテーテルが外され、胸の下のドレーンが外され、少しずつ身体の自由を取り戻していったのが懐かしい。
手術から4ヶ月、最後に残っていたキズのテープも外れ、ようやく「手術」の跡から「解放」されたのだ。

まだリハビリは続けているけれど、いずれリハビリも、今やっている点滴も、そして最後に残っている薬や小さな不安まで、またきっとこうして一つずつ、少しずつ、解放されていくのだろう。

◇ ◇ ◇

友人の一人が時々メールをくれる。
私の乳がんのことを知っている友人は、メールに「自分をどんどん喜ばせて」と、よく書いてくる。

初めてその言葉を書いてきてくれたとき、その少しあとで、テレビの料理コーナーか何かで、だれかが「細胞が喜ぶ感じ」とコメントしているのを聞いた。
そうか、「自分を喜ばせる」って、そういうことなんだと納得した瞬間だった。

若い頃、私はよく、「本当に美味しいと思って食べたものは太らない」と公言していた。逆に、「不味いと思いながらする食事は、お金とカロリーと時間の無駄だ」とも言っていた。
ほんとに美味しい!と思ったら、身体も喜んでいるのだから太るはずないし、太ることなど気にせず楽しまなくちゃと思って過ごしてきた。乳がんになってからは糖分の摂り過ぎなどは多少気になってしまうけれど、根本的な考え方は変わっていない。

美味しいものは美味しい。舌だけでなく、全身に沁みて、身体全体も喜んでいる気がする。
美しいものを見たとき、音楽を聴いたとき、ちょっと鳥肌が立つような感じになったときも、同じようなものかもしれない。

「自分を喜ばせること」「細胞を喜ばせること」
今もこれからも、きっとずっと大切で必要なこと。
これまであまり言葉にして意識せず過ごしてきたけれど、誰にとっても本当はきっと大事なことなはず。がんになって、意識したことの一つかもしれない。

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