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有り難しを知る

「当たり前に"有る"ことがいかに"難しい"か。
その意味を知ることで、"有難う"と感謝の気持ちを持つことができるのです。」

新宿御苑から歩いて10分ほどのところにあるお寺で、祖母の法事の読経のあと、お坊さんが言った。

好きで嫌いなおばあちゃん

東京のオシャレタウンに住んでいるお茶の先生。お弟子さんはみんな美人で、高学歴。
街を歩けばみんなが声をかけてくる(実際、10分で着く駅までの道のりに25分かかったこともあった)。
いつもお洒落で、髪型も素敵。
部屋にはお花が活けてあり、料理上手。
新聞や雑誌を読み、社会情勢にも詳しい。

携帯を使いこなし、3DSでマリオを楽しむ。
お誕生日や節目にはお花やお菓子が届く。

そして…
常に自信に満ち溢れている。

私にとってのおばあちゃんはそんな存在。
かわいがってもらう、というよりも常に学ぶべき人。

もちろん、優しくしてもらえたし、たくさん愛してもらった。
でも、褒められるよりも、教えてもらう方が多かったと思う。

小さな頃は本当に苦手だった。
手紙の書き出し、料理の盛り付け、襖の閉め方。
怒られてばかり。

顔や体型について言われたことも何度となくあったし、お茶会に駆り出されて一日中下足番をしたことも。
友達から聞く"おばあちゃん像"とかけ離れすぎていて、私はそういうおばあちゃんが羨ましかったし、何度も欲しいと願った。

好きだけど、ちょっと怖くてたまに嫌いなおばあちゃん。
私にとってのおばあちゃんはそんな存在。

人生のしまい方

延命治療は絶対にしない。尊厳死する。

ボケないとは思っていたけれど、大病をしたら分からない。
少しでも長生きしてほしいと願う私たちの心と裏腹に、おばあちゃんは人生のしまい方を決めていた。

そしてその通りに旅立っていった。

朦朧とする意識の中、痛み止めを打とうとしたお医者さんの手を掴み、止めた。
苦しくて息もできない、ちゃんと眠れないのに、痛み止めを打たせないなんて(結局はお医者さんが説得して痛み止めは注入された)。

そして、痛み止めのおかげで久しぶりの眠りにつき、そのまま旅立った。
どれだけ強い人だったんだろう。

最後の最後まで、自分の生き方を貫き通した。

大祥という日

あの日から2年。

怖くて、嫌なこともたくさんあったおばあちゃんとの思い出。
おばあちゃんが亡くなるまで私はおばあちゃん子ではないと思っていた。
現実はまったく違った。

自分の中の判断基準のひとつになるほど、尊敬していたことを知った。
おばあちゃんと歩いた街を見れば、一歩も動けず涙が止まらなくなったこともあった。

厳しかったのは愛されていたから。私を一人前にしたかったから。
怒られたことにいちいち拗ねていた私はどれだけ幼かったんだろう。

当たり前にそこに有ることがいかに難しいか。
有難う、といつも言ってはいたけれど、本当の感謝の気持ちは伝わっていないんじゃないか。

そんな後悔がずっとつきまとう。

でも、感謝の気持ちの伝え方を私はおばあちゃんに学ばせてもらったんだ。
ありがとう。

一周忌は小祥。三回忌は大祥。

悲しい思い出は時間とともに薄れ、暖かい気持ちで故人を思い出す日。
その気持ちを天から見る故人は嬉しいと思っている、だから"祥"の文字が使われているんですよ、と。

そうお坊さんは締めくくった。

次は七回忌。
私はこの暖かい気持ちを忘れずに、感謝の意味をおばあちゃんに今さらだけど伝えたい。

おばあちゃんが自慢の孫だと笑って言えるように、まわりの人へも感謝の気持ちを伝えていこう。

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