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本 十牛図入門 (続き3)

探していた牛を目でも心でもなく「ただ、なりきって」見る。

第3章 牛をみつける (見牛)

禅でよくいわれる、「いま」「ここ」「なりきる」

これがこの章のキーワードのようです。

よくきくけれど、実感としてどのようなものなのでしょうか。

仏教術語に、表面=世俗諦、裏面=勝義諦とあるそうです。

前者は言葉が通用する世界、後者はそうでない世界。

よくある禅の逸話で、質問に老師がなにもこたえなかったというのは、

この勝義諦の立場だそうです。

難しいです。何も答えないなんて、ふつうの世界ではどうでしょう。

この勝義諦の入り口が禅定で、ただ、ただの世界にはいっていくわけです。

ただただ、いまここになりきって一日をいきる。

昼間、我他彼此(がたひし)につかれたら、

寝る前禅定にひたる。

深層からの癒しがあります。



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