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Marikoコラム

同じ言葉でも人によって、捉え方が全く違う。
それぞれに染み込む『言葉』が、それぞれ存在する。

言葉は、使う人によってその意味が大きく異なることがある。
なので、そう感じた時に、そのまま流さずにそのお互いの意味合いが
違うことを確認し、その差を埋めておけば良いのですが、
意味合いが違うまま、お互いの認識の差を埋めないまま過ごしてしまうと大変なことに。

言葉というのはとても曖昧なものなのだなと改めて。

先日、飲みながら話をしていた時に、同じ言葉を使っていたとしても人によって捉え方も全く違うし、意味合いもかなり変わって捉えている事が判明。

「えーー!私は良いイメージで捉えていたよー!」
「私はどちらかと言うとマイナスなイメージで」って。

日本語は「察する文化」だからこれだけの違いがあるのではないのか。

「察する文化」の日本においては、すべてを具体的に説明することやYES・NOを明確に伝えず、「このくらいで察して」という曖昧さがあるんじゃなかろうか。

ただ、ストレートに伝えないからこそ、言葉に含まれた深い意味を捉えることが
重要になることもあるしなぁ。

特にメールやラインの文章でも、ちょっとしたズレを感じることもあるし、
そんな事言ってないよってことも。
今はリアルで会うことも減っていたりするから、その時の肌感や雰囲気を感じることも難しかったりするし。

いつでも認識のずれは起こりえます。
ご自身の周りの方々との会話、ギャップ生まれてませんか?

上手く伝わっているかなって、たまに確認してみる事が必要なのかもしれない。
分かり合えた気持ちになると、それが癒しになっている事がよくあるので。

私の癒し。Pejyo。





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