パチンコを文化資本とするとディスタンクシオンを読まない

趣味について調べていたら、「ディスタンクシオン」という本を知った。
どうも、「実家が太い」と階級社会の上位に自然となる、という話で、個人に責任を背負わせる自己責任論は間違いだ、ということになるらしい。

どうもこういう話を聞いたことあるな? と想ったら、内田樹さんのブログで言及していたんですね。

ピンポイントで読んだだけなので、よく分かってないですが、低階層から脱却するにはハビトゥスとかエクリチュールとか、「無意識に作られた習慣」をメタ認知する必要がある、とかいう話。

これで思い出すのは、著名な人格者が言ったとされる(誰か分からなかった)


思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。」

というのが、一般の人が目にする近い概念かな、と。

そういえば、ジブリ映画「となりのトトロ」で、お父さんの実家が太いのは確実、とかいう話があったような。そうでないとあんな生活はできなかった、らしい。

そういう生活があるんだ、と低階層の人も見られて認知できたのに、レンタルショップがなくなってジブリはサブスクをしてないから、見る機会が減った、とかいう話があったり。知らなきゃ認知できないな、と。

ただ、文化資本という言葉がジャーゴンになってる気がするので、勘違いでメタ認知できない人もいそうです。

よく、有名大学を出た成功者が、「自分は努力したから成功した、上手くいかない人は努力が足りない」的な言説を見かけることがあるけれど、それはハビトゥスという概念を知らないな? と分かるだけで、文化資本に助けられているのに無自覚だ、という話。

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