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雑記 8月〜10月

2023年8月16日〜10月13日

散歩中にぴよぴよ公園って名前の公園と出会った
何人もの公務員の決裁を潜り抜けてこの名前になっていると思うと微笑ましい

ご飯に対してケチりたくない気持ちが強過ぎて省エネ炊飯モードを未だに使ったことが無い

部屋の掃除はゴミか洗濯物かそうじゃないかの仕分けしかできず、散らかったものを然るべき場所に仕舞う段階で手が止まる。
家にあるものの中で定位置があるものを考えると、フライパン、洗濯ばさみ、服等の使用頻度の高いものか、掃除機やアイロン台、キャリーバック等の大きなものに大体分けられる。気がする。
ぱっと見で床に散らかっているものは、爪切り、印鑑、コロコロ、文庫本、ポケットティッシュ、ハンカチ、領収書、ペン、microUSBの端子の充電器で、使用頻度が低い且つ小さいものである。
これらを全てまとめて入れる箱を準備すれば、部屋が片付くし、小物を探すときも手間が減るのでは、と仮説を立てた。

と仮説を立てたが、部屋の掃除が面倒過ぎて実行に移していない。何かが見つからずに困ったときに着手しようと思う。

はしゃぐ犬を定年前後くらいのスーツのおじさんがニコニコ見つめていてよかった

犬は彼らの理屈で勝手に生きてるからいい
人間の力ではどうしようもない存在に振り回されると万事が些細なことに思えてくる

犬は犬だから魅力的だと思ってるので、犬系○○には魅力を感じない
なんならその名前はやめてほしいなって思っている

駅から家までの全ての信号が赤だったけど、すべて無視して帰宅した

人生で初めてアクスタを購入

バイト先のバックヤードは様々な業務用製品が存在していて嬉しい。
ウォシュレットはボタンが「おしり」「ビデ」「強」「弱」の4つしかないし、エレベーターはボタンのレスポンスがめちゃくちゃ早くてドアの開閉の速度もすごい。

社会適応しつつあるASDの人の感覚的な話には共感を覚えることが多いが、ASD的な困難にはあまり直面していない
よくわからない

単位を取り切ってはいるが一応の履修登録をしてみた。が、一切授業に出る気が無いことがわかった
今は授業に出なくてもよい解放感を味わいたい時期なのかもしれない

大学通学から来るストレスがそれなりに大きかったことを改めて認識した。学期中は常に心が圧迫されてる感覚があったし、睡眠も上手くできなかった。
あまりに認めてしまうと抗えなくなってしまうので無視してきたけど、この生き方はあまり健康的ではないと感じる。

「自分大人っぽいねでしょ」って調子に乗ってる人に対しては、「子供っぽいよ」よりも「年相応って感じだよ」って言った方が刺さるっぽいことを知った。刺している現場に居合わせ流れ弾を食らいかけた。

旅行した友達とウォシュレットの強さが一緒だと嬉しい

ポーチを初めて使ってみた。鞄の中の小物をまとめるのにとても便利で驚いた。おまけに前日とは別の鞄を使う際の小物の移動が楽だし、忘れものが減りそうである。
そしてポーチの便利さも嬉しいが、試してみると嬉しいことがまだまだそこら辺にあった事実も嬉しい

今年の夏の最大瞬間風速は頂き物のミニトマトだった

基本的に安い食材ばかりを選ぶので野菜はキャベツ、レタス、玉ねぎ、にんじん、もやし、大根をローテーションしている。
たまに季節の野菜や果物を頂くと狂ったように食べてしまうし、あまり我慢せずに色々買えるように家計を見直したいところである。

結局支出ではなく収入を増やすことでお金の問題は解決した
来年から嫌というほど働くのに今からバイト戦士になっていて悔しい

「うんこで笑わない奴はFAKEだと思ってる」って話を友達にしたら、「かなりHIPHOPだね」って返された
HIPHOPが何たるかはよくわかっていないが、ポジティブな方向で受け取っている

元気な時にした約束とか連絡の返信が元気じゃない時に襲い掛かってくる

アイロンをかけたシャツをよく着ている。意匠が好きなのではなく、これなら大丈夫って安心を纏いたい気持ちから。
美味しさではなく栄養摂取のために食事をするとか、楽しみではなく集団の中で立場を確保するためにコミュニケーションを取るとか、大体そんな感じである。

友達が温泉で「今日はプーさんのパンツで恥ずかしいんだけど…」って話をしながらズボンを脱いだ時にに、すかさず自分もズボンを下ろしトイストーリーのパンツを見せた。
色々な運命があるなと思った。

ゴミ箱の1.5倍くらいの高さまでゴミが積みあがるとゴミ捨ての必要性が心理的負担を上回ってゴミ捨てを実行できる

高校の時は自己開示が一番の愛情表現だった

オホーツクの海 寂しい

岡本太郎を読んでから内定式に出たら、社会に迎合しようとする自分と反発する自分で精神がちぎれそうだった

労働条件通知書を受け取り、来年から平日9時17時は身体的な自由を失うことが高い確率で確定して、かなり嫌な気持ちになった
絶対に行くぞと意気込んでいた厚岸牡蠣祭りと内定先の研修の日程が被り、めちゃくちゃ悔しかった。

人事の方からの覚えがめでたかったので、少し距離を詰めてみようと砕けたコミュニケーションを試してみた。
結果として想定していたよりも砕けていたらしく、「内定者からそんな風に言われたのは初めてだよ~」と人事からゲラゲラ笑いながら伝えられ、すぐに「や~すいませんすいません」って軌道修正した。
ちょっと上手に距離を詰めたかっただけで、史上初の内定者になりたい訳ではなかったので、結構肝が冷えた。
お互い酔ってたし悪い人たちではないと思ってるから大丈夫だとは思う。

自分にとってnoteはほぼ排泄だと感じる
溜まった言葉をまとめて定期的に自分の外に垂れ流してすっきりしてるだけというかなんというか 

どうやっても翌日の寝不足が確定している夜は、明日が来るのが嫌でダラダラとスマホをいじってしまう。
おかげでダダサバイバーがめちゃくちゃ進んだ。

岡本太郎を読んだ翌日、偶然にも岡本の作品に出会う

まとまった文章を書くと自分が使う語彙の少なさ、偏りに驚く。
良い文章を写経すると文のリズムや語彙が段々と身に付くと聞いたことがあり、試してみるのも手かなぁとか考えた
そして自分が何か行動を起こすときは、「思った」などと口にする前に試しているので、このアイデアは実行されないと思う

最近はエッセイを読んでいる。
単純に自分以外の人生の感覚、価値観、人生を知るのは勉強になって面白いのもあるし、ついでにいいなと思った部分は自分のものにしていく所存である。

会話をしつつも、今の会話のデータを集めて次に生かそうという意識が常にある。次とはいつなのか何なのかはよくわからない。

うさんくさい人物だと言われることがしばしばあるが、最近は気にならなくなってきた。
うさんくさくて人格を作ってそうだと思われても、その上でなんだかんだ悪い奴じゃないと思われることで、より強度の高い信頼を獲得できる気がしている。

裸眼で夜の街を歩いてみた
知ってる場所を歩いてるのにすぐに現在地が認識できなかったり、目の前のビル群が遠近感を失ってゲームの背景みたいに平面的に見えたり、平衡感覚に影響があるのか少し気持ち悪くなった(これは空腹でコーヒーを摂取していたからかもしれない)。
なんというか足元から目の前の建物まで世界全体が支えを失ったような感覚だった。眼鏡をかけ直したらすべてが地に足のついた世界に戻った。

世に出ているブログとか日記を読むと、一つのテーマについてつらつらと綴ったものが多く、このようなかたちものは少ない印象を受ける。というかブログってそういうものなのかもしれない。
一つのテーマに沿って思考が進められて、まとまった文章にするのが苦手なので、自分に出来ないことをしている意味で、長いブログに憧れがある。

最近できた友人が描いてくれた似顔絵

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