見出し画像

ぐるぐる時間からの脱却

2020年、私はあることに気がついた。

時間にはどうやら、2つの種類があるらしい。

1つは、ぐるぐる回りつづける輪っかのような時間。そしてもう1つは、ぐるぐるしながら伸びていくコイルのような時間、だ。

画像1

私の場合、2020年は、ぐるぐる回る輪っか時間をひたすら重ねた1年だった。

もちろん原因は、新型コロナだ。

2020年、自粛生活のはじまり

2020年4月。ミャンマーでstay homeがはじまった。町はロックダウンされ、仕事は在宅ワークに。友達もほとんど日本に帰ってしまった。

最初の1、2か月こそ、え?こんなに家にいて大丈夫?と、自宅でソワソワしていたけれど、家から出たところで行く場所もないし、やることもない。

しまいには突如アパートが完全ロックダウンされ、2週間一歩も外に出られなくなるに到って、私のマインドは完全に引きこもりモードにセットされた。

画像2

(↑ロックダウンされた自宅アパートの敷地は、徹底的に消毒された)

自分の大きさがわからなくなる

で、そうなって気づいたことなのだけれど、外からの刺激が極端に少なくなると、私の感情を振り回すものは、私だけになる。

自分の思考や気分が、ものすごくダイレクトに自分の精神状態に影響するのだ。

「自分ってダメなやつ」と思う日の世界は暗黒だし、何かにワクワクしているときには、壁のヤモリだって輝いて見える。(←極端)

あまりにすべてのことが自分自身に影響されるので、当初は自分の大きさを計りかねて戸惑った。


特に私の場合、2020年は「自分ってダメなやつ」の日数があまりにも多かったので、結構しんどかった。決してネガティブな性格ではなく、むしろちょっとウザいくらい前向きな私が、自己否定しつづけた理由はズバリ「在宅ワーク」だ。

コロナの影響でプロジェクト自体がろくに進まず、仕事に追われることも少なったおかげで、私のサボり癖は遺憾なく発揮された。

何を隠そう、在宅ワーク初日には、うっかり3回も昼寝をしたほどである。なんてダメなやつ!と自責の念にかられ、その夜はよく眠れなかった。(←ただの寝すぎ)


アホみたいな話だが、私はこの1年、そんな自分とくる日もくる日も戦いつづけた。

戦いに敗れる日々が続くと「私はいつのまにこんなにダメな人間になったんだ」と落ち込み、暗黒世界の住民になった。

楽しく暮らさなくっちゃ!

結局、私は仕事の充実をあきらめ(←おい)プライベートを楽しもうと、色々なことに手をつけ始めた。

せっせと読書に励み、Web媒体に記事を書きまくった。ミャンマー語を勉強し、あのくるんくるんな文字も読み書きできるようになった(ミャンマー語検定も合格した!)。オンラインセミナーも山ほど受けた。

これまでの人生でなるべく関わりを避けてきた料理にも手を出し、いつのまにか丸鷄をさばけるまでに成長した。(我ながら予想外の展開)

画像3

・・・こうして楽しい時間を過ごすことができるようになると、私はホッとした。

自粛生活は相変わらず気が晴れないけれど、「今日はこれをやった!」と言えることがあると、小さな達成感を得ることができるのだ。

きっとそれを積み重ねていった先で、ふと振り返ると「充実した人生」みたいなものが見えるんだろう。

ぐるぐると回転していた時間

ところが。

年末に2020年を振り返ってみると、着々と積み上げたはずの充実感は、ほぼ感じられなかった。がーーーん。

私が毎日アレコレやって有意義に見せかけていたものは、ハムスターが車輪を走るように、毎日ぐるぐると回転数を稼ぐ作業にすぎなかった

いや、それはそれでいいのだろう、ハムスターは車輪を楽しそうに回しているし。

でも毎日をぐるぐる回転させているだけでは、どこにも動いていかない。そのことに私は満足できないらしかった。

とつぜん届いた「5年後」

このことを意識したきっかけは、ある手帳だ。

コロナで帰国できず「おいしい梅干しが食べたい」と泣いていた私に、友達が送ってくれた支援物資の詰め合わせ。

その中に、黄色い箱に入った、友達からのギフトが同封されていた。

画像4

「ほぼ日5年手帳」

箱のおもてには、

2021
2022
2023
2024
2025

と、5年分の年号が書かれていて、私はそれを見た時、少なからずドキッとしたのだった。


この黄色い箱の中には、「5年後」という実態のない概念が、物質として存在している。

画像5

(↑ページを開くと、同じ日付が5年分、縦に並んでいる)


ページをめくる。

1日1日、まだ見ぬ真っ白な日々が、でも確実にやってくる日々が、5年分。四角くふちどられて、均等に並ぶ。

2025、という紙の上の数字は、ただの印刷物にしては、思いのほかリアルで迫力があった。

本来見えないはずの「時間」が、ひょっこり目の前にあらわれて、無邪気に「次の5年、何する?」と問いかけてくるようで、私はちょっと動揺した。

ハムスターみたいに、楽しくクルクル走り続けて、あと5年?

それでいい?

ぐるぐると、伸びていく時間

ここで最初の絵に戻る。

画像6

ぐるぐる回り続ける、輪っか時間(左)。

同じところでぐるぐるしていると、ぐるぐるの密度は濃くなり、安定する。手帳の中の今日という白い四角は、充実感とともに埋め尽くされる。

そして四角の中で完結し、リセットされ、次の日にはまた真っ白な四角が待っている。


ぐるぐるしながら伸びていく、コイル時間(右)。

ぐるぐるしているようでいて、確実にどこかに向かっていく。

同じようにぐるぐると走りながら、視線の先には何かを捉えている。意思と方向性をもって、少しずつ伸びる時間。

そこでは変わりゆくことが価値をもち、今日という四角からは、いつも明日に向かって軌跡がはみだしている。


どちらが優れているとか正しいとかじゃなくて、きっとどっちの要素もあっていい。

だけど、飽きっぽさにかけて右に出る者のない私としては、どうせ走るのなら、毎日少しは違う景色を見たい。

そして、5年後には、まったく別の場所でぐるぐるしていたい。

5年間の1年目。

そんなわけで、2021年。自分なりに動き出してみようと思う。

やりたいことを考え始めるといつも、自分が怠惰であることをすっかり忘れて、永遠に終わらない目標リストをつくってをしまうので、目標は1つにした。

圧倒的な行動力と、発信力。

↑あれ、2つだね。

まぁいいか。笑

そんな感じで、5年後に向けて、錨を上げる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?