孤高

 単純にネタ切れを起こした。先日のボカニコの感想でも書こうかと思って書き連ねたが、誤魔化しきれない程度のネガティブばかりで、ちゃんと反省会になってしまい、あんまり見せられないなあと思いやめておく(もっと言うと人様の曲をお借りしてまでも愚痴っぽいのは嫌なのだ)。こんな書き出しをしてしまったが、総合的には出てよかったと思っているし、ちゃんと良い思い出なのだ。
 ならばと思い、どうにか自分の中で良かったと思えた部分を形にする。

 ボカニコ・超ボーマスといえば、こんな身で言うのもなんだが、元々苦手だった。イベント自体よりも、イベント後の『ボカロ最高!』というテンションがなんだかずっと苦手だ。実際、今回も周囲にはそんな空気を流れていたし、特にSNS上のそれが嫌で毎年この時期はネット断ちしていた。どうして苦手なのか考えたが、言葉にしてもただボロが出るだけで、やっぱり“生理的に無理“以上のそれは出なかった。

 別に音楽としてのボカロに偏見は無い、むしろ合成音声さえ主軸にあれば何しても許される場所という認識すらある。”打ち込みはカス、生演奏が史上“みたいなライブハウス界隈で『お前が弾くよりは打ち込みのがマシやけどな』等々燻っていた頃よりは気持ち良くやれている。
 文化へのリスペクトもある。こんなにも聴いてもらうまでのハードルが低く、雑多でも一応のカテゴライズをしてくれて、アーティストに居場所や指針を与えてくれるインディー音楽シーンなんて他にない。
 それでも『ボカロ大好き』さんたちが苦手なのは、疎外感なんだと思う。いっつも「自分はそこまでじゃないです」と思ってしまったりする。事実、今回初めて参加したが、そこまで感極まれなかったことにずっと疎外感がある。だからと言ってそうなりたいかと言われればそうでもないのだ。
 一応、言い訳をするなら、自分はシーンよりもアーティストで音楽を聴くので、好きなアーティストがボカロPをやってる、という感覚が近いです。

 今回、自分は『ボカロ大好き』さんたちが担いでいる神輿にあやかるどころか、神輿の上にいきなり立った。それはプロセカ提供であったり、ボカニコで自分の曲が流れる飛び越して、自分がDJをした。
 なんだか『ボカロ大好き』でなきゃその神輿には乗れないような気がしていたが、「ひつじがいっぴき」のリファレンスは「極夜」だったし(守ったかどうかはさておき、そこから依頼されたという意味で)、たまたま良い時期にドワンゴの方と話す機会があったから、ついででお誘い頂いた。
 そうやって高いところから見下ろして分かったが、自分の苦手意識の正体が『ボカロ大好き(な自分が好き)』だと気付けたし、そんな連中に振り回されることもないなとも思った。特にクリエイティブで。

 これを読んでいるボカロPがいるなら、別に好きでも嫌いでも興味なくても何でもいいから、あの神輿を無理矢理担ぐ必要はありません。あれは謂わば、才能の無い奴らの慰みです(だって何が何千万回再生されようが、当人以外関係ないんですから)。別に神輿の上にはそれとは関係なく運とコネと実力でいけます。
 そんなことよりももっと『自分しか好きじゃないこと』とか突き詰めた方がいいです。というか神輿の上に立つ人は大体そうです。そして、そういうのはリスナーは案外敏感に察知してくれます。その『自分しか好きじゃないこと』がボカロでボカロPやってるなら考え直した方がいいです。
 ボカロPたちがそういうテンションでいてくれる『ボカロ』は自分の好きな空気感です。
 そういうことに気付けたから出てよかったなと思えた。あとは普通にDJとして、アーティストとしてどうやっていけばいいのかの手応えを得たので。
 本当に好きで日々活動されている方、水を差して申し訳ないです。ちゃんと“音楽”に向き合ってると信じています。自分が言いたいのは、ただのゴシップとかルサンチマンに振り回されてないか?です。誤解なきよう。

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