見出し画像

死にたくなったら電話して

以下、ネタバレ・考察を含みます。
気になってる方は先に読むことをオススメします。

ドーモ、皆さんお久しぶりです。
コロナ禍でなかなか会えない日が続きますが、僕は元気にやっております。

私事ですが、旅行(出張)の前には必ず書店に立ち寄り、ビビっと来た本を買うルーティンがあります。
今回はそんな境遇の中たまたま選んだ「死にたくなったら電話して」について話していきたいと思います。


この小説は一見すると「メンヘラ女に毒された主人公が、次第に影響され、緩やかな死を迎える」そんな話です。
概要だけ聞くとありきたりで、面白くなさそうですね。

でもこの話では'メンヘラ女'が圧倒的正論(主人公と彼女における世界において)で、その他の「現実は辛いものだけど、それでも頑張って生きていればきっといい事がある」という対になる対象があまりにも愚かに感じるんですよね。

まあその対象が読者の大半に当たると思うんですけど。

今改めて、僕らはなんのために生きているのか。
なぜ死ぬ事で諦めないのか、を問われている作品であると感じました。

「生きてる事が素晴らしい」
と思うあなたからは、死ぬ事が素晴らしいとは思えないかもしれません。でもこの作品では、死ぬ事が酷く美しく思える部分もあるのです。

そこには“自分自身の思想”というものを、固定観念(“テレビマンとしての私”や“サークルメンバ”としての私など、アイデンティティ)を取払った中での解答を求められれているのではないでしょうか。

作中では容子が救われた理由を“偶然”の積み重ねと言っていますが、主人公徳山が初美=メンヘラ女(メンヘラと一概に語るのはなんですが)に毒されたのも偶然でしかないというのが、唯一語られることのなかった“救い”なのでは無いでしょうか。

賛否両論ありそうな作品ではありますが、私たちが思い描いている人生と、初美が思い描く世界の対比が酷く痛々しく、それでいて素敵でした。


ここまで付き合ってくれた皆様に感謝致します🫣

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?