音楽を政治利用することについて

まずはこのtwitterコメントを読んでみてください。そこで引用されている星野源さんのエッセーの一文も。

これはきのうからネット上で話題になっている,星野源さんの曲を「利用した」安倍総理のtwitter投稿に対する批判投稿のひとつ。

批判であると同時に,星野源というミュージシャンの,リアリストであるともに理想主義者でもあるステキなスタンスを浮き彫りにした心づよい援護射撃。

ボクはいわゆる左よりのリベラルなので,この「コラボ」を見た最初の反応はもちろん「うげっ!」というもの。

だって,よりによって補償なしの「コロナ自粛」で経済的に不安定なアーティストやミュージシャン界隈を絶望と死の淵においやっている当人がシレッとアーティストの心のこもった応援歌に便乗しているわけでしょ?

さすがサイコパス(=反社会的人格)総理。いや,使っている写真からみて,あの奥さんの家庭内発案じゃないかという噂も。

もちろんボクの「うげっ!」は,まず最初にこのtwitter投稿に批判的なみんなが思ったように,「パンがなければお菓子を食べればいいのに」と言ったというマリー・アントワネット級の世間知らずさに対して。

「仕事がなければ家でくつろいでお茶でも飲みましょう」というとんでもない世間知らず。まず休業補償じゃないか!と。

そして「うげっ!」は,これをやられた星野源さんの心境を想像したときの反応でもある。

星野さんは,音楽では社会を変えることなどできないという。でもそれは音楽の力を過小評価しているのじゃなくて,音楽には個人の心を支えるというもっと普遍的で強い力があるよ,力のベクトルがちがうよ,という透徹した考察にもとづく言葉だったんだ。

この彼の文章を読んでから,安倍総理のtwitter投稿についての星野さんの反応を見ると,とてもナットクがゆくのでした。

音楽の政治利用の浅ましい本質に対する,見事な見事なソーシャルディスタンスによる批判ですね,これは。


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