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【花を撮る】枯れていく花を愛でる、という感覚

春先にあったこと。
住宅街を歩いていたら20mくらい先にピンクのきれいな花が見えた。写真を撮ろうと思ってスマホを取り出しながら間近まで行ったら、その花は少し枯れ始めていた。

(ああ惜しい。二、三日早く見つけていればなあ)

そう思って写真は撮らずに通り過ぎた。
少し歩いてから、立ち止まってふと思う。

(それってさあ、あんまりじゃない?)

人間に例えたら「素敵」と思って近づいたらシワや白髪に気がついて「ガッカリ」とNG判定したようなものだ。

なんだかなあ、そりゃあんまりだよな。
そう思って、引き返して写真を撮った。

ちょい枯れ始めだけど十分美しい。

枯れていく花を愛でる、という感覚は人間にあるだろうか。他の世界のことはわからないけれど、森羅万象すべてのものに神が宿り、すべてのことに「侘びさび」を見出す日本人の感覚の中にはありそうだ。

少し調べたら、とある花屋さんのブログにこんな記述を見つけた。昔の日本人は花が朽ちていく美しさも愛でていたのではないか。「花の終わり」を表現する言葉が「枯れる」だけではなく沢山あるのがその表れだ、というのだ。

(以下引用)
まず桜、、、これには皆さんご存知の通り
「散る」と言う表現が用いられる。
そして梅はポロポロと落ちていくことから「こぼれる」。
椿は花がポトリと落ちるので「落ちる」。
牡丹や芍薬は花びらが一枚づつ一気に散るので「崩れる」。
菊は枯れると花弁が垂れ
その垂れた花弁が風に吹かれる様子が
まるで舞ってるように見える事から「舞う」。
朝顔は「しぼむ」。
花が枯れゆく表現は他にもまだまだある。
(引用ここまで)

LEHUA FLOWER MARKET ブログ:枯れゆく花を愛でる

なるほどなあ。
枯れるというか、どうやら花びらが離れていく様子にこころが動くのだろう。

もうひとつ見つけたのがこれ。

「布花 枯れていく花」山上るい

枯れていく花の写真集かと思ったら違った。山上るいさんという布花(布で作る造花)作家の方の作品集だ。枯れることのない布花で枯れていく花を造る。示唆的というか詩的というか、心が揺さぶられる。そしてこの作品集は山上るいさんの遺作だという。
枯れることのない布花で枯花を表現するというイマジネーション。そしてこの作品集を最後に急逝した作家。このプロットだけで一編のストーリーができそうだ。
https://www.amazon.co.jp/dp/457910675X

数日、そんなことをあれこれ考えていたらご近所の生け花の先生に、朝、タイミングよくお目にかかったので「生け花の世界には枯れていく花を愛でるという考え方はあるのですか」と聞いてみた。

普通の枯れた花を生け花に使うということはないけれど、花が落ちたあとも美しい枝は使うし、花の中にはドライフラワーのようにきれいに枯れる花もあるのだそうだ。そういう花はその枯れていく美しさを生け花に活かすのだという。

花が枯れても美しい枝が残る。枯れていくけれどドライフラワーのように美しく枯れていく花もある。これもなんだか示唆的な話だ。

時間の流れはいつも一定なのに、未来に向かって流れている時間が、あるときから終わりに向かって流れているという見方になる。つぼみに流れる時間は未来へ向かって流れていて、満開を過ぎた花の時間は終わりに向かって流れているのだろうか。自分の時間は未来に向かっているのか、終わりに向かっているのか。
そんなことを思いながら、また花を撮ろう。

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