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息子の修学旅行土産に爆笑!からの思いがけず氣づかされた「罪悪感」

息子の修学旅行土産の顛末から思いがけず氣づかされたことがありました。
この記事では、一見 無関係とも思えるどんなできごとからも、
あるいは誰かのちょっとした言葉からも
大事なことに氣づくことができるということを書きました。
罪悪感とは何か、ということにも触れています。

「は?お小遣いが1万円?」

息子の修学旅行のしおりには
「お小遣いは1万円以内」と書かれている。

お土産屋さんに何か所も寄る旅程になっていることから察するに
『大人の事情』があるのでしょう。

おやつ代が500円以内と決められているのに、
お小遣いが1万円って…(笑)

はたして息子にいくら渡そうかと思案した結果

「今回のお土産代と夏休みの鉄旅のお小遣い、合わせて1万円ってことにして、お土産を買って残った分は夏休みまで取っておくのはどうかな?
お土産を一つも買わずにぜんぶ鉄旅に使ってもいいんだよ」と。

息子と合意して、1万円を渡したのでした。

なぜそんな提案をしたかといえば、
息子は普段の生活ではほとんどお小遣いを使わないのに、なぜか旅に出ると持っているお金をほとんど使ってしまうから。

鉄道グッズやお菓子類など、あとさき考えずに豪快にじぶんや家族、友達のためのお土産にお金を使うのです。

物心ついたときから欠かさず出張土産を買ってくる父ちゃんを見て育っているからなのか、
あるいは旅行大好き、お土産買うの大好きなじいじ(=わたしの父)の隔世遺伝なのか (笑)
ちなみにわたしはじぶんにもひとにもほとんどお土産を買いません。

そういうわけで
息子に「じぶんで考えてお金を使ってほしい」という親の淡い願いもあり、今回の提案となりました。

だがしかし!
まぁ、これまでお金の使い方を教えてこなかったのですから、いきなり考えて使えるようになるわけもなく…

満面笑みで修学旅行から帰ってきた息子のぱっつんぱっつんのリュックからは

お土産が出てくる出てくる (笑)


ドーン

ドヤ顔でお土産の説明をし、
「全部は使わなかったよ!1000円くらいは残ってる!これでも抑えたんだよ」
と力説する息子の様子がおかしくて爆笑してしまうわたし。

またしても、彼の『マイワールド』に巻き込まれてしまうのでした。

彼を見ていると
「刹那に生きる」とはこういうことなんだよな
と思い知らされます。

彼は『今』しか生きていない。
先のことを考えていない。
それは常識的な大人目線では「あやういこと」のように思えるけれど、
幸せや喜びというものは過去にあるのでもなく、未来にあるのでもなく
『今』感じて味わうことしかできないのです。

そして先のことを考えていないわりに、
彼はいつもどうにかなっているし、あれがしたい、あそこへ行きたい、という願いも次々と叶えてしまうのです。


前置きが長くなりましたが、ここからが本題 (笑)
そんな息子の様子を会社の若い先輩社員(パイセン)に話したところ、
こんなコメントが返ってきたのです。

「その1000円は、彼の罪悪感の表れですね」

それは意表を突かれる一言でした。
そして、なんだかモヤ~っとしてきたのです。

モヤっとするときは、氣づくべきことがあるサイン。

別の件でも朝からモヤモヤを抱えいたのですが、
この二つの件に共通するのが

「罪悪感」

だということに氣がついたのです。

息子は罪悪感から、いつものように思いっきり買い物をすることをしなかったわけです。
1万円の10%分を「罪悪感」として残してきた。

かたやわたしも、
あることについて100%のじぶんを出すことができない状態にモヤモヤしていたのです。

今回、息子がわたしに見せてくれていたのは

残り10%を出させないようにしているのは
わたしの中にある自覚していなかった「罪悪感」なのだ
ということ、だったのです。

それに思い至っていなかったわたしに、
職場のパイセンがトスを上げてくれたわけです。
グッジョブ!パイセン!

こんなふうに、どんなできごとにも
誰かとのちょっとした会話の中にも
氣づきの種はそこかしこに落ちているのです。

イラっ、モヤっ が
「これ、種だよ」というサインですよ!


ところで、「罪悪感」というのは言い換えると

『加害者意識』

わたしが悪かった、と自覚していながら
じぶんに言い訳をして謝り切れない状態なのです。

ひと月半ほど前に意識の転換があって
被害者意識から抜け出したのですが、それ以来
これまでの「加害者だったわたし」に氣づかされるようになりました。

加害者意識や罪悪感から抜け出すには、
心から悪かったことを認めて「謝る」ことです。

もしもあなたが
じぶんを出しきれていない
今を生ききれていない
そう感じているとしたら、
あなたが抱えている「罪悪感」に意識を向けるときなのかもしれません。

けれど、わたしたちは
「じぶんが悪かったことを認めて謝る」ということがなかなかできないのですよね。

それはいろいろな被害者意識や思い癖、思い込みや執着などが邪魔をしているから。
それらをひとつひとつ丁寧に拾い上げて感じて、絡まった心をほどいていくことで、いつか素直に謝れるときはやってきますよ。

だから、今すぐ謝れなくてもだいじょうぶ。
謝れないわたしはダメ、などということもありませんから。

どんなあなたでもよいのです。

そして、どんなわたしでもいい。
わたしも、この罪悪感に向き合い手放していこうと思います。
思いっきりわたしを生ききるために。

ちなみに
謝る、と言っても
必ずしも相手に直接謝らなくてもよいのです。
それができるならそうした方がよいのですが、
言葉にならなくとも、心の底からお詫びが湧きあがってきたなら
もうそこには被害者も加害者もいなくなっているのです。

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