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少しずつだけど世界は一つに向かっている

世の中が悪い方に向かっている
世論調査では、そう感じている人が多いらしい。
だけど本当にそうだろうか。

インターネットが普及したことで
世の中は確実に変化した。

インターネットが普及したことで
幸福感を感じにくくなった、とか
人と人とのコミュニケーションが希薄になった、とか
悪影響のほうが、実感としてあるかもしれない。
以前はわたしもそう思っていた。

コンピューターがなかった時代の
肌感覚での人と人との繋がりや
ゆったりした時間の流れを懐かしく思うこともあった。

けど、インターネットが世界中に普及したことで
心の中の世界の縮尺は確実に縮まって
世界がどんどん身近になってる。

わたしの友人は自宅に居ながら海外の講師に英会話を習っている。
彼女は時間が許す限り自宅でも外出先でもレッスンを受けていて、
家に居るときはひきこもりだよと笑って言う。

海外に留学しなくても英会話のレッスンも受けらるし、
海外の生の情報がいくらでも手に入る。

交通網も広がって、日本から見ても
海外の国はそんなに遠いところではなくなったよね。

それは何を意味しているかっていうと

世界が一つに向かっている

ということなんじゃないかな。

400年くらい前には日本中が
隣り合う県どうしで領土を奪い合って殺し合いをしてた。

そして時を経て規模は拡大し
ほんの80年前までは世界中で国と国が戦争をしてた。

今でも一部の地域で戦争は起こっている。

けれど、今の日本で
隣の県どうしが争いあうようなことは映画の中でしか起こらない。

だれも、隣の県を奪おうなんて考えない。

それは、日本という国に住む者どうし
『わたしたちは仲間』
という意識が日本の人々の中で当たり前になったから。

戦国時代とは違い
交通手段が普及したことで
隣の県だろうと北海道と沖縄だろうと
そこは『他所』ではなく
気軽に行き来できる『わたしたちの場所』になったから。

わたしが子どもの頃はまだ海外は遠い場所だった。
けれど今は世界の交通網も発達して
多くの国々に行くことができる。
日本のパスポートがあれば、ではあるけれど。

今、隣の県の人と戦おうとは思わないのと同様、
多くの人が隣の国の人と戦おうとは思わないんじゃないかな。
100年前とは隣の国に対する意識が違うもんね。

日本人どうしだけでなく、
海外の人どうしも
『わたしたち』
という意識が芽生え始めてるんじゃないかと思う。

だから、時間はかかっても
いずれこの世界から戦争はなくなるはず。
インターネットや交通網の発達というのは
人類の意識の進化のプロセスの一部。

世の中は確実に進化の方向に進んでいる、とわたしは思っている。

歴史を振り返ってみると
少しずつ少しずつ『仲間』という範囲が広がっていってる。
それは『わたしたち』という意識が拡大していっているということ。

これは量子論的な意識の現象化の視点でみてみると
個人レベルで意識が拡大していってるってこと。
わたしたちの意識は確実に成長しているんだよ。

とはいえ表面的には
個人が『孤独』を感じたり
『孤立』したりしていることが問題になっている。

けれどそれって、今に始まったことじゃないのよ。
多くの人たちがずっと孤独だったの。
孤独な人どうしでも、同じ敵を持ったとき『仲間』になることができる。
かつて争いが当たり前だった時代には、そうやって孤独を回避することができてた。
けれど今の若い人たちは、意識の進化に伴って『争う』という概念が薄れてきている。
息子や息子の人間関係を見ていると、つくづくそう思わされる。

そして、かつては『孤立』することをおそれて長いものに巻かれて生きることを余儀なくされる時代が続いたけれど、
多用な価値観が許容される時代になり、長いものに巻かれずとも生きていけるようになってきた。

だから、これまでの時代には水面下にあった『孤独』や『孤立』が
表面化したに過ぎないんだよね。

そしてこの表面化は、これから意識がさらに進化していくうえで必要なプロセスなんだと思う。

本質的な意味で人と人とが繋がりあって、世界が『わたしたち』になるために。

一見、世の中は悪い方に向かっているように見えるけれど
人々の意識は確実に進化成長している。
少しずつだけど、世界は一つに向かっている。

わたしはそう感じている。
現象として表れている世界がそれをわたしに見せてくれている。
何をどう見るかは人それぞれ。
けれど、どう見てどう感じるか。

そう、『どう感じるか』が現実を創っている。

そしてこれは、ひとりの人の成長のプロセスでもある。

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