見出し画像

三十半ばの成人式

二十歳のとき、成人式には出席しなかった。

当時、大学を中退して働くようになっていて、
祝祭日も出勤の仕事をしていたことと、

中学卒業まで関西で育ち、越境受験で東京の私学に入学したために
当時の居所の成人式に出席しても、知人友人がほとんどいなかったから。

けれど実を言えばそれは表向きの理由で、
本音は親への反抗心からだった。

成人式の一年以上前にすでに、
かなり高額な振袖を母に買ってもらっていたにも関わらず、
出席しなかったのだから。


大学時代の夏休み。

『着物イベントご案内係』

という高額時給のアルバイトを見つけて、

時給に釣られて親友を誘って応募した。

イベントの前に着物についての勉強会に数日間出席し、
イベント当日に家族や知人を会場に連れて来るというお仕事だった。

親友は何やらあやしさを感じたらしく、勉強会の初日でやめてしまったが、
わたしは母がイベントに来てくれるというので、続けることができた。


イベントに母を連れて行くと、
気が付けば、『案内係』のはずのわたしが呉服屋のおば様に次々と振袖を着せられるではないか!(笑)

そして、わたしの振袖姿に母もすっかりその気になり、
その場で振袖と帯を買ってくれたのだ。

『ご案内係』とはよく言ったもので、

『お客さんを会場までご案内する係』ってことだったのね(笑)

あの数日にわたる勉強会はなんだったのだろうか。

親友の嗅覚は正しかったのかもしれない。


幸い取り扱っていた着物が良質のものだったこともあり、
母はかねてよりわたしのために振袖を用意せねばと思っていたこともあり、結果オーライではあったのだけれど。

振袖を用意しようと思ってくれていたその気持ちも、

当時はバブル絶頂期で家計に余裕があったとはいえ、
高額の着物をポンと買ってくれたことも、
 
振袖を買うに留まらず、
わたしに着付けをすべく
着付け教室にまで通っていたことも

わたしへの愛以外の何ものでもない。
 

今なら痛いほどわかることだが、
当時はそれがまったくわからなかった。

わたしは幼い頃から両親にお金を使わせることで、
親の愛を確かめるようなところがあった。

「わたしよりもお兄ちゃんのほうが大事なんでしょ?」

勝手にそう思い込んでいたわたしにとって
兄よりもどれだけたくさんわたしにお金を使ってくれるかが重要だったのだ。

だから、欲しいかどうかよりもできるだけ高いものを要求したりして…。

挙句に、成人式に出席せず振袖を着なかったのだ。
母への最悪の意地悪である。

けれど、母をがっかりさせてしまったこと、
お金を無駄に使わせてしまったことに、罪悪感がなかったわけではなく、

大人になればなるほど、申し訳ない気持ちは募っていった。

だから再婚することが決まったときに、
北海道神宮で神前式をしよう!と思い立ったのだ。

再婚だし白無垢はちょっとな…だし
だからって三十半ばで振袖もどうなん?という感じではあったが、

もし今着なかったら、もう二度と晴れ姿を見せる機会は来ない!
そう思って母が買ってくれた振袖を来て、式を挙げた。


母も父も、喜んでくれた。

やっと振袖姿を見せることができて、ホッとしたのを覚えている。


どうせなら自髪で日本髪を結ってもらいたくて、
日本髪を結える美容師さんを探して髪を伸ばして当日を迎えた。

成人の日に、
そんな親不孝と親孝行の昔話を思い出した。

本当は愛されすぎていたから、
愛されていることが当たり前過ぎてぜんぜん氣付いてなかっただけだったのだ。

幼さゆえの勘違いをいい大人になるまでし続けてしまった。

今となっては、
どうしてそんなに頑なに愛されていないと勘違いしていたのか
もう思い出せないくらい、母に愛されているという確信がある。

父と母の子に生まれ、愛されて育ててもらえたことに感謝が溢れる。

ホロスルーム〈hicari〉


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?