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閉じてはだめ、なんだけど

 窪美澄さんの「水やりはいつも深夜だけど」の中の「きらめくポーチュラカ」。を読んだ。「逃げてはまた同じだ、閉じてはだめだ」という文章に本当にそうだなっておもった。

 でも、実際は難しいよねって思ったお話を今回は書こうと思う。

 人と人が付き合うには、向き合って、自分をOPENにしてないとなってわかってる。そのとおりなのだけど。上手くいかないことが多いよね。心が折れる、人との関係を閉じてしまいたくなる。

 誤解を生んだり、嫌われたり、相手も自分も距離を感じたりすることで、必要以上に、人の目が気になって自分自身が苦しくなるんよね。でもさ、人と違う意見だなって同調できないんだよなって思うことを、そう思ったことそのまま伝えたら、やっぱり引くでしょ。って思ったら、そしたら、本音で生きるって難しいのよね。

 取り繕って、一般論は言いたくないし、アタシは嘘は言いたくない。自分の本当の意見を伝えたい。でも。今、自分の気持ちや意見を、そのまま話すと、自分はあまり愚痴とか、不満がないから、とっても幸せそうで自信満々。マウント取ってるみたいな事を言う羽目になる。

 そうすると、この人は、距離を感じる。感じ悪い人って思われてる。かっこつけてる人。そう思われる。

 仕事してて、しんどいな、辛いなってこともあるけど。それを言っても何の解決にもならないのなら、すこしがんばって黙って乗り越えるよね。何考えてるかわからないって思われてても、にこにこして、引き受けて、抱え込んで・・・。

 お仕事で、しんどかったら、「黙ってんと言わなあかんよ!」とか周りに言われるけど、基本、体力が少なめなアタシは、常にしんどいし、腰にヘルニアがあるので、いつ動けなくなるかって不安がある。

 ここまでなら頑張れるってとこまで、耐えて、しんどい作業でも、ある程度は、がんばる。そして、みんなで、ローテーションして、しんどい部分を分けあえるといいなって思う。それが理想だな。そこに、器用な人間と不器用な人間、数の上がり方、仕上がりの差があるなら、上司に俯瞰で見てもらって指示してもらって、与えられた場所で、みんながベストを尽くす。

 言われるがままではあるけど、従い、そうした方が、良いこともあると思うし。効率とか材料の無駄とか考えてパートをどう動かすかというのを、上の人間がしっかりとコントロールしてくれたらいいなと思う。とくに、工場のラインのお仕事をしているアタシたちですからね。そんなに我がまま言ってては、お仕事が回りません。

 お友達同士、やりやすい人だけで、やりたい仕事だけで、お仕事が成り立つなら、どうでもいいことだけど、基本いろんな気の合わない人とも共にいろんな作業をし、”チームでお仕事!”なのだから、ある程度、お互いが我慢しなければなりません。

(実際は、文句の言わない人間が、しんどい部分をすることになるんだけどさ。)

 なるべく、摩擦のないように、ぶつかり合わないように。

 そして、あの人には話しにくいと思われていては、伝達ミスがおこったりします。だから、アタシは、「いつでも、お話聞く体制ですよ。」ってオープンでウェルカムな態度で居たい。仕事の上では、人間関係を閉じてしまってる、あの人は距離を感じる、とっつきにくいな、なんて思われるのは本意ではない。仕事に差し障るからね。

 アタシは人と人との距離間を、普段は大切にしていますど。社会人として、仕事の時は、大人の対応。”にこっ”として、何でも言ってねっていう態度でありたいなっって思うのです。

 前の職場で上司に言われた。
 口角をあげて”にこっ”とできるのが、あなたの良いところだって。

 そう、あたしは、そういう意味では本音を出しません。

正直につらそうな顔をして
本音を出して良い方向に転ぶなら大いに本音を出しますが。

にこっとして、しんどい仕事もやりますよって引き受ける方が、

うまく回ると思うから。

辛いときも

かなしいとき

しんどいときも

くっと、口角をあげて。
何でも言ってくださいね。っていう、
ウェルカムな態度でおりたいのです。
人と人の付き合いを、閉じていてはダメってことです。

 そうすることが、仕事の効率のためには、大切なことですからね。一人でお仕事してるわけではないのだから。

 今の職場は、世間というものが色濃くてキツイ。村社会と申しますか、仲間意識が強い。それは、悪いことではないけど、外から来た人に対してもっと、OPENであらねば、どんどん年齢が上がるばかりで、若い人が辞めていく職場になる。

 そういうことに、皆が気が付いているであろうと思うのに、自分を守って、村意識がぬけず、小さな世間の中で陰口やいじわるを言う。これを打破するには、どうしたらいいんだろうね。そういうのに未来はないと思うんだけどね。

 アタシは少なくとも閉じないで居たいし、人の目を気にせずにいたい。もし、自分の意見を聞かれたら、その問いに向き合って、しっかりと考えて、自分のフィルターで通した意見を、(もしわからなかったら、わからないなりにも、)正直な気持ちを伝えられるような、そんな人で、ありたい。

 そして、人にどう思われるかとか、世間の目とか、考えずに(そういうこともあるということをわかりつつ、そこを、乗り越えてなお、)常に、”にこっ”として居られる強さを持っていたいと思うのですが。

 実際には一人の力は無力です。一人一人が、それぞれ、社会の一員として、強くなれるのが理想なのでしょうけど。難しいことです。

 本当に残念なことです。

 弱い人ほど、マウントとるし、攻撃的だし、人を囲い込みたいのです。

 陰で悪口を言いあって、同調圧力で、仲間同士ガッチリ徒党を組む。世間の目を気にする。それが多数派。サイレントマジョリティーってやつ。

 そして、声の大きいノイジーマイノリティーの意見が大きく影響を与える。(↑こういうタイプはアタシみたいなタイプが嫌いなことが多いのです。大体において。アタシの主観ですけど)

 アタシのようなサイレントマイノリティーはじっと我慢なのです。それは、別にいいんですけどね。大きな声の人は変な影響力があり、アタシとは誤解が生まれ、結果こちらが傷つくようなことになることが、非常に多くて、いつも、アタシは可哀そがられる結果になるのだ。ま、実際は、ちっとも可哀そうな人ではないのだけどね。

 アタシは、結構強く、生きてます。

 マウントをとられたり、モラハラ、パワハラを受けて、辛そうな人が居たら、手を差し伸べたいのです。見て見ぬふりをしたり、したくないのです。

そういうときも、権力や大きな力を恐れずに、強くありたいのです。
生きづらい生き方であっても、そうありたいのです。難しいことかもしれなくても・・・。

 なんだか話がそれました。(笑)

 さて、トップの画像ですが・・・。

 リアルに、現在(2022.10.10)の我が家「小さなおうち」基礎工事の経過の報告でございます。

今月末には、上棟となりますよ。

その様子も、アップいたします。

ほな、また


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