ハッピーエンドのファム・ファタルになりたい。

ファム・ファタルとは、傾国の美女のこと?

そもそも、「ファム・ファタル」とは。

ファム・ファタール(仏: Femme fatale)(或いはファム・ファタル)は、男にとっての「運命の女」(運命的な恋愛の相手、もしくは赤い糸で結ばれた相手)というのが元々の意味であるが、同時に「男を破滅させる魔性の女」のことを指す場合が多い。
ーWikipedia「ファム・ファタール」より抜粋
単なる「運命の相手」であったり、単なる「悪女」であるだけではファム・ファタールと呼ばれることはなく、それらを満たしながら「男を破滅させる魔性性」のある女性を指す。多くの場合、彼女たちに男性を破滅させようとする意図などはなく、複数人との恋愛をしたりお金を際限なく使ったりする自由奔放な生き方により、男性が振り回されることになる。

多くの場合、妖艶かつ魅惑的な容姿や性格をしており、色仕掛けや性行為などを駆使して、男を意のままに操る手腕に長けている。
ーWikipedia「ファム・ファタール」より抜粋

 うーん。こうしてしげしげとファム・ファタルという言葉の定義に立ち返ると、私の目指すところとは全然違う。当たり前だが、私は私のせいで誰かが破滅することも、お金を湯水のように使い異性を侍らせる放蕩の生活を送ることも、1ミリも望んでいない。

ファム・ファタルの定義に潜む、古の男尊女卑思想

 古今東西のあらゆる芸術作品ー小説、絵画、映画などーに登場する女性キャラクターや、史実に名を残す女性というのは、ファム・ファタル的性質を持っていることが本当に多い。上記のWikipediaの定義のように、自分の魅力を分かっていて利用するパターン(史実にはそういった女性が多い。クレオパトラや楊貴妃、マリーアントワネットなど)に加え、自分にはその気なんてさらさらないのに、複数の男性に好意を抱かれたり、それが原因で女性から妬まれて、仲間外れにされたりいじめられたりといったモチーフ(こちらのパターンは、むしろ創作物で多いように感じる)は、そこらかしこに転がっている。
さらに深掘りすると、そうしたファム・ファタル的キャラクターや人物が、最終的に大団円で幸せになったのを、あまり見たことがない。

 史実に登場する彼女たちの悲惨な最期からは、男性を誑かしてオイシイ思いをするような女性は、最後は悲惨な目に遭って死ぬんだ!ザマアミロ!という、一種の報復のような匂いを感じないでもないし、クリスティーヌからは、男性の、か弱くて幸の薄い美女(無意識に周囲を狂わせているという初期条件が、彼女が美女であることの担保となる)を助けたい!という英雄願望が透けて見えるような気がする。穿った見方をしすぎかもしれないけど(笑)

 そもそも、この定義の前提にある、男性の破滅を魅力的な女性のせいにする責任転嫁の姿勢が好きじゃない。自分をダメにするような相手とは、どんなに別れがたくとも勇気を持って縁を切らなければならないのは、あまねく全ての人々にとってそうであり、性別だのは関係のない話だろうに。とうとう破滅するまで縁を切れなかった、自分の心の弱さを反省するべきだ。というか、「男性の破滅は女性の魅力のせい」なんて理論がまかり通るなら、「痴漢に合うのは、短いスカートなんか履いて誘惑する女性の方が悪い」し、「セクハラに遭うのは、はっきり拒絶せずに気を持たせる女性側が悪い」ということになってしまう。

 うだうだ書いたけど、ファム・ファタルという言葉に、原義の「運命の女」から色々と加わっている追加定義について、私はどうしても、“男性にとって、理想のーーつまり、あらゆる意味で都合のいいーー女性像”を感じざるを得ない。
もちろん私は、そんな古めかしい男尊女卑理論に基づくファム・ファタルなんてまっぴらごめんだ。時代は令和である。

では、「ハッピーエンドのファム・ファタル」とは

 私の目指すファム・ファタルは、原義の「運命の女」に近い。つい物語にしたくなるような、絵画に閉じ込めたくなるような、詩に思いを綴りたくなるような、そんな女性になりたいのだ。
しかも、それは男性にとってではなく、自分自身にとって、だ。私は、自分自身にとっての「運命の女」になりたいのだ。自己満ファム・ファタル、とでも言うべきだろうか。自分のことを「運命の相手だ!」と思えるほど愛せた時点で、超絶ハッピーエンドではないだろうか?

 私が愛せる私であるために、私は髪を整え、唇に紅を引き、小さな宝石を身につけるのだ。私が愛せる私であるために、私は毎日体に良い料理を作るし、運動もするし、時にはちょっとお高いバスソルトでゆっくり半身浴をするのだ。私が愛せる私であるために、私は丁寧な言葉を使い、出会う全ての人に敬意を払い、美しい姿勢と仕草を保つことに努めるのだ。それらの取組は、決して私以外の誰のためでもない。(誰かに愛されたいと頑張る私自身というのが、私が愛する私であるならば、もちろん誰かのために装うことも吝かではないけれども!)

 そういう小さな毎日の積み重ねが、私にとって、目指すベき「ハッピーエンドのファム・ファタル」。さて、今日も私と、そして私の大好きな夫のために、とびきり美味しいロールキャベツを作ろう。

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