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統合失調症の家族。

今日は兄の話をする。

兄は統合失調症含め、色んな精神病があり
14歳から今年34歳まで約20年家にいる。

小さい頃から小学生まではゲームができて
わりと友達はいるほうだったと思う。
学校から帰ると2〜8人くらいの友達が来てて
わたしも妹として可愛がられていたし、
その友達の妹たちも来ててよく遊んでいた。

しかし、この頃から異変があったのかもしれない。
幼稚園の先生には椅子にしばられたらしい、
小学校の先生には嫌がらせを受けていたらしい。

兄が言うことを聞かなかったのかもしれないから
先生が悪かったと責めるつもりはない。

その理由は、帰宅中にいつも水筒とか上着とか
なにかしら物を落として帰るので、わたしが拾って
帰ってきたり、学校の引き出しの中が整理できないので
わたしが整理してあげてたり、、なんだかんだ
問題があることには間違いないと思っていたから。

でも、兄としては今も優しいが当時も優しかった。
めちゃくちゃ楽しみにしてるゲームの発売日に
わたしからやらせてくれたり、予約特典をくれたり
なにかと優先してくれて、甘やかされていた。

中学にあがると、女の子からキモイや〇ねなど
暴言を吐かれていたらしい。嫌な女だ。
2年生になると学校に行かなくなってしまった。

兄は荒れた。わたしは当時小6。
いってきますをしたとき、キレイなお部屋が
ただいまのときは、家間違ったか?と思うくらい
ぐちゃぐちゃになっていることは多々あった。

わたしがどうやって生活してたか覚えてない。
ただ、いつもケータイとお財布のはいったカバンを
家の中でも常に持ち歩き、荒れ始めたら家を出てた。

その頃の兄は強迫性障害が酷く、何時間も手を洗ったり
お風呂も何時間もはいり、ドアノブや箸などは
長袖の裾を使って触らないようにしていた。
兄のものに少しでも触ってしまったらとても荒れた。

よく2階からリモコンやハンガー、チェストなどが
降ってきて怖かった。食事中ならごはんをひっくり返し
無駄になることもあった。リモコンも何個も買ってた。

わたしが中学にあがると、わたしがグレた。
学校に行かず、夜中までカラオケ、友達の家に外泊、
髪も染めたし、まゆ毛もなかった。
県外にもよく遊びに行ってたし、自由に遊んだ。

そんなある日、母がめちゃくちゃ大きい痣があるのを
見つけた。母は父に言うなと口止めしていたが
あまりに腹が立って父に告げ口してしまった。
なにも言わない父が「俺の女になにしとんや」とキレた。

あれ以来父と兄の距離が縮まることはないし、
息子としてみてないのか?とわたしの疑問も消えない。

わたしが泣いて家出しようと外に飛び出したときに
母から「あなたは高校卒業したら家でるんやで、
それがあなたにとって幸せになるから。」と告げられ
わたしは高校卒業したら家に帰れないんやなと
中学生にして将来に対しては悲観的になっていった。

その頃、母の日記を発見して開けてしまい、
「〇にたい」の言葉だけみて、そっと閉じた。

それから、兄は精神科に通い、少し落ち着き、
とてもよくしてくれる家庭教師の先生にも出会い、
通信制の高校に一応在籍した。途中でやめたが。

わたしは高校受験に失敗したりと色々あったが
また別のお話で、、現役でちゃんと高校に入学した。

両親が兄ばかりに目がいくのが気に食わなかったので
同級生より級の高い検定をたくさん合格したり、
生徒会にも3年間はいり、副会長もしたり、
デザイン関係の旗とかTシャツとか担当したり、
目立つこと、褒められそうなことをたくさんした。

しかし、わたしがどんなにいい資格をとろうが
兄がたまたまその日に食器を洗えば、特別褒められ
わたしの話は適当に「当たり前」で済まされた。

そんなとき、兄が幻聴が聞こえるや電磁波がどうとかで
また少し荒れ始めた。これが統合失調症のはじまり。

わたしは包丁を母に突き出したと聞いてから
家に帰るのが怖くなり、毎日夜まで駅前で時間を潰した。
3年生になってからは路上ライブしてるひとと知り合い、
毎日駅前で歌を歌って夜中を待った。補導もよくされた。

夜眠ることも怖くなって、朝も起きれなかった。
はやく卒業して家をでたい気持ちが膨らんだ。

短大生になると一人暮らしをはじめた。
その頃のわたしは、少しでも兄がどうにかならないか
情報を集めることに必死になっていた。
色んなひとに話をして、色んな情報を得た。

しかし、わたしがやれるのは母に伝えるだけ。
その頃の母は、まだ精神病と認めたくない感じで
なんの申請もしてくれなかった。
わたしも短大を卒業すると忙しく、母に任せた。

家庭教師の先生の紹介で1年くらいバイトも
していたが「まわりのひとがいいひとばっかりで
迷惑かけてしまうから申し訳ない」とやめてしまう。

やっと薬を服用するとなっても、兄が拒み、
隠し隠しご飯の中に薬を忍び込ませて、
服用している兄は知らない状況でやり過ごした。
その間に母は病気や手術が何回もあり、
入院するたびに、わたしが薬をいれていた。

その後、自分でおかしいと思ったらしく、
やっと薬を自分で飲んでくれるようになった。

数年は落ち着かず、夜泣き?することもあり、
両親が眠れない日々が続くこともあった。
そこから5年くらい。今年、精神障害の手帳を
手にすることになるが、ここまで約20年。

まだまだこれからのことはわからないので
どうなるかはわからないけど、手帳ももらったし
母いわく役場の福祉の方に相談したら大丈夫
らしいので、兄の不安はなくなった気がする。

今は落ち着いているし、ケータイも10年近く
放置していたが、先月はじめてスマホを持った。
わたしの好きなバンドがテレビやラジオにでると知ると
いつもラインで教えてくれるとても優しい兄である。

わたしはトラウマだったりが消えないので
いまだに大きい声だして喧嘩してたりすると
怖くなったり、フラッシュバックはある。

こういう家族の方、特に兄弟とかだと
幼少期にこの環境にいることになる。
わたしはじぶんで調べて児童養護施設を知り、
はいりたいと思ったこともあった。

親にまでは言ってないし、もし言ったところで
金銭面も両親も問題ないのに無理だろうが。
その頃から兄を追い出すのではなく、
じぶんがいなくなる方を選択しようとしてたと
思うと、損が多い人生も納得である。

わたしは兄のことはほっておけないので、
これからも人生が終わるまではただひとりの兄として
施設にいれたとしても、家にいたとしても、
どうにかは守っていきたいと思っている。

が、それが正解はわからない。
縁を切るのもひとつの選択だし、悪いとは思えない。
家族はどうしていくのか、また、そのときがきたら
色んなひとにお話を聞いて判断していきたい。

心療内科の初診は来月になったのだが、
メモを持ってこいとのことでなにから書けばいいのか
わからないので、少しずつここに出して
まとめていこうと思ったので、兄のことを。

明日は少し久しぶりにお仕事の日。
在宅なので起きえさえいればどうにかなる。
スケジュール帳は病院や検査の予定ばっかりだが
埋まっていくのはいいことだということにした。

またあした。

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