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郷土史と絵画 その壱・品川

noteに登録し、ようやく郷土史について語れる場所ができました。

わたしが密かに見聞を広めたいと思っている郷土は、東京都品川区大井、大田区大森、山梨県甲州市(塩山)、埼玉県深谷市(岡部) あたりなのですが、初回はその中でも最も自身に縁深い、品川について少し記録しようと思います。メモ代わりでもありますので、多少お目汚し的な部分もありますがご了承のほどを。

 品川というのは、うちの父方の家系に縁深い土地です。まず、とれるだけ昔の戸籍謄本をとった際、曽祖父の本籍住所は、東京都品川区とは記されておらず、「東京市品川區大井南濱川町」および「東京府荏原郡大井町」と書かれていました。

それまで知らなかったのですが、あまり長いこと東京にいる家というのは戸籍の廃棄が進んでしまうそうですね。(東京は人の出入りが激しいため?) 管理しきれないということで、戸籍から全員が除籍され80年経過した戸籍謄本は廃棄してしまうとのこと。品川の家も、曽祖父までのものしか残っていませんでした。(ただし独自にそれ以前のご先祖についても調査済みですが、それはまた別の話)

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そういえば、その昔、あの辺りは濱川町と呼ばれていたのだと聞いたことがありました。今も濱川という地名は部分的に残っていますね。

濱川のあたりは、名物の砂風呂があったり、海岸で海苔がとられていたりと漁師町の風情があります。日本体育会荏原中学が近くにあったこともあり、火防稲荷の近くに文具屋など商店も軒並みひしめいていました。蕎麦屋さんなど、今も尚健在のお店もありますね。

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↑画像は、品川歴史館で手に入れた濱川付近が描かれた絵画地図です。(たしか300円と激安) 作者は竹内重雄さんという画家で、この辺りに住んでいたそうです。ちなみにわたしの曽祖父が営んでいた床屋も、この地図の中に描かれていて驚きました。(細かすぎて見づらいですが) よく見ると、画伯の家もチラホラ…。

ここらの名所?といえば、鈴ヶ森刑場跡もあります。

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なんとも物々しい石碑の字体です。この石碑は現在でも残っており、献花もされていましたね。隣が寺なので、わたしがしげしげと石碑を見つめていると、管理されている方が窓から視線だけをこちらに投げかけていて、心臓が止まるかと思いました。刑場ゆえに、心霊スポットとしても有名ですが、幼い頃からこの辺りで暮らしていた父にとっては、まったくへっちゃら何処吹く風〜みたいです。気にしていたら生きていけないですからね。

立会川にかかる橋は、涙橋とも言われています。

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鈴ヶ森刑場にひかれていく罪人と家族が、この橋で涙の別れをしたことに由来するとも言われています。(諸説あり) 八百屋お七なんかもここで処刑されています。

余談ですが、父曰く「大井競馬場には"おけら橋"というのがあるぞ」。おけら…つまりスッカラカンになることですね。涙橋とかけてるようなところがあるのでしょうか?(不明)

わたしが三歳のお参りをした天祖・諏訪神社です。濱川鎮守。

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ご祭神は天照大神。平安末期から鎌倉年間には創建されていたと見られています。古くは神明宮、諏訪社の二つで、立会川を挟んで二つあったものが一つになりました。

最近では、嵐の相葉くんが必勝祈願にこの神社を訪れたことで有名になってますね。

 さてさて、書くことは尽きないのですが、あまり長くなるとだれてしまうので、そんな品川は濱川からインスピレーションを得て描いた油彩画を一つ。

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Title「鈍色とらべら」

約100年前の濱川の海岸線を描いた一枚です。

古い時代に生きた人は、どのようなことに感動し、行動してきたんだろう。と、思いを馳せながら郷土画を描くことは味わい深いものです。またコロナ騒動が落ち着いた頃に、あらためて品川を訪れてみたいです。

次回はまた別の土地を。

お読み頂きありがとうございました。




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