イスラエルのニュースを見て想うこと

1990年代前半

新潟市の繁華街「古町通り」のナイトライフはとても充実していて飲食店は勿論、クラブ(踊るほう)やボーリング場、オールディーズの生演奏が売りのLive Barなど
週末はどこへ行っても満員だった。

21~22歳だった俺はパリピに憧れて古町通りの色んなお店に行ってはみたが結局馴染めなくて、いつも路上で缶ビールを飲んでたのだがそれでも結構楽しかった。

その頃の古町通りには外国人コミュニティみたいなのがあって

夜になると彼等は路上に点々と露店を構え
酔っ払い相手にアクセサリーを売っていた。

多くは若者で、イスラエルから来たという事だった。

路上飲みの目的は彼等と交流するためでもあり、古町でのひとつの楽しみだったのだ。

彼等にはボスと呼ぶ元締めみたいなオジサン外国人(ちょっと恐そうな人だった)がいて
若い外国人の露店商売を仕切っているみたいだった。

ちょうど英会話教室に通っていた俺はカタコトの英語で露店バイト中の彼等と雑談するのが楽しくて、やがて1人の女の子と親しくなった。

サリーだかサリみたいな名前だったが発音は良く判らず、
とにかくサリーと呼んでいた

「サリーは何処から来たの?」


「イスラエルだよ」


「へー、みんなイスラエルから来たって答えるよね」


「みんな大学を卒業すると旅に出るの。あ、ボスが来た。離れて」


「どうして?」


「バイト中にサボってると怒られるのよ」

どうして旅に出るのか?

答えは訊けず仕舞いだったが、
イスラエルの若者にはgraduationのあと外国旅行する慣例があるようだった。

しかしながら彼らが旅に出る真意は判らない。
まあ自分の英語リスニングも怪しいし、って事で
確信するには至らず。

ただ、確かに古町周辺にはイスラエル人の若者が大勢いた。

…そうやって世界を旅するなんて素敵だな、ちょっと羨ましいな…

そんなある日、とある宅飲みパーティーに誘われて日本人とイスラエル人、その他の外国人らと飲んだ。

知り合いの女子大生の家に7~8人で集まり、音楽を鳴らしながら何だか無国籍空間みたいな飲み会で楽しい。

サリーとその女友達も来ていたので、いつものカタコト英語で語り合った。

俺はその夜の自分の無知さ加減を今でも良く覚えていて、
それが自分は無知なんだという自戒を忘れずに今日も生きていられる好機となる…
とても意味深い一夜となった。

俺がカタコト英語で
~graduationを終えての外国旅行はどうですか?~
みたいな問い掛けをすると
サリーの口からmilitaryという言葉が聴いて取れた

イスラエルに徴兵制度がある事は知っていたし
新聞を好んで購読していた当時は湾岸戦争があり
中東での多国籍軍の動向を伝える記事も多かった。
そしてその時たまたま読んでいた小説がイスラエルについて触れていた事も相まって
俺は興味本位でサリーに質問をし始めた

「女性も徴兵があるってホントなの?」

「うん、私は終わったけど」

「銃の経験は?」

「持ち歩いてた」

サリーは終始ニコニコ顔で、都度つど乾杯しながら答えてくれる。

「こうして飲んでるとき銃はどうするの?」

「持ってたよ」

…本で読んだ通りだ

「酔っぱらって銃を無くしたらどうなっちゃうの?」

「アハハ!刑務所行きだよ」

サリーは笑っていたが俺には衝撃的な会話だった。

数日前にZippoのライターを無くして落ち込んでいた俺だったがそんな話ではない。

…軽々しく質問しちゃいけなかったかな?
デリケートな事だったかも…

やがて酔いも回ってチル気味になった宅飲み会場。
俺は酔った頭の中で、サリーとの会話で得た衝撃を散らそうと自分のグラスにワインを注ぐ

すると「チア~ズ」と言いながら近寄るサリー。

普段ならワンチャンあるかもと気安く肩を抱く場面だったが、何だか畏れ多くてそれは出来なかった。

グラスを鳴らすもちょっと気まずくなって、
俺は咄嗟にニュースや新聞で見聞きする人物の名前を口走ってしまう

「チア~ズ。ねえ、アラファトってどんな…?」

そしてこれが最後の質問となった。

サリーは「NO~!」

と言い、カタコトの俺には説明が難しいと感じた様子でジェスチャーで泣いて見せてくれた

自分や仲間の女子らを差して、指先で頬に涙が伝う身振りを示しながら。
でも最後にサリーは俺に笑顔を向けてくれた。

平和で豊かな日本で生まれた自分が
きっと重い話題…に好奇心で触れてしまった事や
祖国のために銃を持ったサリーの気持ちを慮ることも出来なかった事に
俺は隠れたい気持ちでワインを飲み干した。

それから俺は言葉を慎むようになり
パーティーは夜明け前に解散した。

~サリー、バイバイ。またね~

数日後、いつもの様に古町へ飲みにくり出すと
サリーの姿は無くて、別の外国人が露店を出していた。

何年か経つと外国人のアクセサリー屋さんもボスも姿を消してしまい、俺はやがてサリーの事も忘れてしまっていたが今もこうして自分が無知なんだって事だけでも覚えていて良かった。

どっちが悪くてどっちが正義なのか?
どんなに説明されてもきっと解らないけど

笑顔を交わすことはできたよね

サリー、元気でいて欲しいよ。

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