わび・さび 「侘び寂び」の簡単な伝え方
侘び寂びという言葉を生で久しぶりに聞いたのは
盆栽教室に通った時だった
侘び寂びは聞いたことがあるが
説明できるかというとできなかった。。
辞書を引いても調べてもよくわからない。。
今では僕なりの解釈の「侘び寂び」がある
本当に人それぞれの違った解釈があり
それもそれでいいと思う
3日後に新しい僕なりの
「侘び寂び」ができてもおかしくないので。。
一つの解釈として読んでいただけたらと思います
「詫びる」を一言で言えば
Simple is the best!
詫びるというのはsimple
盆栽でいう自然な空間だという
盆栽は鉢の上でその自然界にある植物の表現をする
盆栽でいうと自然界の美だ
また茶道にもある「詫び寂び」
茶道でいう「詫びる」は
その空間が全てだろう
日本の皇室などをみてもわかるが
海外の皇室や大富豪と違い本当にシンプルだ
その中に美しさがある
それが「詫びる」だ
豊臣秀吉が造らせた茶室は全面に黄金を使う派手な空間だったという。
彼との思想は違かった千利休が今のような茶室を広めたものだ
茶室の中では人々を平等にし
どんなに身分が高い人でも、刀を外し頭を下げなくては茶室入れなくした
「にじり口」は
彼の知恵だろう
仏教でもくらいが高い如来ほどシンプルで布切れ一枚だが
位が低いほど何かいろんなものを持ったり着飾っている
Simple is the best だろう
「寂びる」とは
使えば使うほど味が出てくるものだ。
盆栽でいうと10年、100年との時間の経過と手入れとともに
より素晴らしきものになっていくというのが寂びるだ
数ヶ月の盆栽ではとても表現できない盆栽が50年、100年の盆栽はある。
これは茶道の道具などもそうだが
茶筅などの使い捨てのものもあるが、茶碗や鉄瓶などは寂びるだ
使えば使うほど味が出てくる
茶碗はどんなに高くても1000万円くらいだと思うが
千利休の時代は1国(今の都道府県のようなもの)の価値もあったという
ただの陶器を、茶碗1つを国の価値まであげたのは千利休の凄さだろう
今ではどんなに凄い茶碗を県庁に持って行っても県と交換してくれないだろう。
将棋の駒なども本来はツゲの木で作られているが
手脂とともにものすごい光沢を出してくる。
プラスチックや安い木材で造られた駒ではただただ汚れるだけだ。
登山などするとよくみんなが掴んでいるだろう木の枝などをみたことがあるかもしれない。。
そんな木の枝はものすごい光沢をしているし
いい感じになっている。。
これは山ぶどうなどのバックも同じで
下手なブランド品のバックよりも高級で
新品の山ぶどうのバックなどをみても
どうしてこれがそんな値段がするのだろうと思ったものだ。
でもある日、山ぶどうのカバンを修復する職人さんのところへ足を運んだことがある。
その時にそこに並んでいる全国から集まった使用済みの山ぶどうのカバンをみた時に
唖然とした。。
信じられないくらい美しい光沢のバックがそこにずらりと並んでいた。
人によってはおばあちゃんから受け継いだカバンを大切に使っている娘さんなどもいる。それは10年、20年、50年、100年と直しながら使っていくようだ。
大切に手入れしながら使っている山ぶどうのカバンは本当に声にも出せないくらい美しかった。。
これが「寂びる」だ
新しい出来立てホヤホヤのものよりもそれを使っていくことによって味も物語も積み重なってより立派なものになっていく
古民家などもそうだろう
新築な家ではない古民家ならではの美しさがある
それは何十年、何百年と使ってきた柱や木などが手入れとともに美しさを出す。
いい木材の木のテーブルや木の床などは
使えば使うほどすごい光沢を出す
それは手脂や素足で歩いて艶が出てくる
ニス塗りの床やスリッパや厚手の靴下など履いていなかった時代のものだ
今の物の多くは新品が一番最高の時であり
時間が経ち、使ってくるとどんどんとボロくなってくる
100円ショップなどの普及で良い国産のいいものを作る職人は極端に少なくなった
100円ショップの品物をいくら長く使ったところでボロくなっていく
安いので大切には使わない
壊れたらまた新しいのを買う
きっとビジネスにはこれが最適だろう
でも工芸品は違う
使えば使うほど良くなっていく
高い物なので大切に使う
壊れにくいが壊れたら直してまた使う
ビジネスにはよくないだろう
だけもこれが日本の文化であり日本人の得意なことではないだろうか
今の家をみても出来立てが一番綺麗で使えば使うほどボロくなっていく
でも今の現代人はこちらを選ぶ人が多いだろう
詫びる寂びるから学ぶこと
これはヨーロッパの人も大好きなものだ
私たち日本人が大切にしてきたこと
そしてこれから私たちが日本人として大切にしていきたいこと
私たちが落ち着く空間には
きっと詫び寂びがあると思います
そしてその侘び寂びを感じられるのは
日本人だからであるからなのだとも思います
少しでも役に立てたら嬉しいです