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高校野球のマネージャー

高校の部活として「マネージャー」ってかなり異質だなと振り返ると思います。
運動部に所属はしているが自分は運動をせず、サポートに徹する。
野球部に3年間を捧げたということは、高校の3年間を他者に捧げたということです。
友人にはよく「マネージャーってめっちゃ青春じゃん!」と言われましたが、その当時は全然オフがないので制服ディズニーも出来ずクリスマスもなく、「どこが青春じゃい…私も振替休日にディズニー行きたいな…」などと思っていました。

私の所属していた野球部は、同期のプレイヤーが10人弱、全部合わせても30人以下というこじんまりとした人数でした。
ちなみに同期のマネージャーはおらず、1人という寂しい現実でした。
目標は「神宮で野球がしたい」
本音を言うと「1回戦いい所と当たって勝てたらいいな」というところ。
なかなか公式戦で勝つことが出来ませんでした。

そもそも、プロ野球にしか興味のなかった私は入学当初は野球部に全く興味を持たず、ソフトボール部に入ろうと目論んでいました。
ただ、ソフトボール部が試合ができるギリギリの人数しかいなかったこともあり、少しどうしようか悩んでいました。
そんな時に当時のキャプテンに「野球興味ある?少しでいいから部活見ていかない?」と言われ、見るだけなら…とマネージャーの見学に行きました。
(後で聞いた話では、マネージャー志望がいなかったため必死で探していたそうです。)
野球の知識を持っている人が来たものですから、先輩部員の方々はそりゃもうマネージャーのやりがいやら楽しみやらを沢山話してくれました。
高校野球という未知の分野を知り、人をサポートする側に回るのも1度は経験しておいてもいいのかもと割と軽い気持ちで入部を決めました。

※ソフトボール部をお断りしましたが、結局人数が足りないこともありヘルプで試合に呼ばれたりしていました。
ライト線に先制タイムリーを打ったことだけは覚えています。(多分後はほぼ凡退だったのでしょう)

そんなこんなで入部することになりましたが、1学年上にマネージャーが1人いるだけだったので手探りでやることを探す日々でした。
そんな野球部における私がしていたマネージャーの仕事をご紹介します。

・ジャグに飲み物を準備
・大会前の千羽鶴
・試合中のスコアラー
・SBO(ストライクなどの掲示)
・マシンへのボール入れ
・ノックの際のボール出し
・ティーバッティングでのボール出し
・自主練中のノッカー
・後輩部員への筋トレの指導
・コンバートを検討中の部員を監督に紹介
などなど…

他にも細々とした作業は沢山あった気がします。
ちなみに1番辛かったのは冬場のジャグ洗いです。間違いなくナンバーワンです。
冬+外+冷水は絶対にダメです。
ゴム手袋で防げるレベルではありませんでした。

この中でおそらく異質なのが「自主練中のノッカー」ですね。
中学時代に女子野球を少しやっていたことがバレてからはたまーにノックを打っていました。
ノックバット、めちゃめちゃ打つの難しいです。
キャッチャーフライなんてもってのほか。
そんな経験もあってか、試合を見に行く時は早めに球場に行ってノックもしっかり見てしまいます。

なぜ自主練中とはいえマネージャーがノックを打っていたかというと、我々の野球部は監督もほとんど来ない上にコーチも存在しなかったからに他なりません。
試合以外で監督に来てもらうにはマネージャーが直接電話するしかありませんでした(今思うと通信料こっち持ちだったなーと。そしてノック打ったらすぐ帰るやん。)
上記の「コンバートを検討中の部員を監督に紹介」というのも監督が練習を見ていないため、我々が教えなければ知らないままなのです。
「あの選手が外野の練習もしています」「この選手が最近打撃好調です」などを伝え、練習試合の第2試合などで試すという形をとっていました。練習見に来いよ。

更に監督やコーチがいない中では、筋トレの仕方から練習メニューまで部員が考えなくてはいけませんでした。
対外試合の出来ない冬期練習をどうするかについても他校の野球部に練習を聞いたり本を買ったりと、キャプテンと随分話し合いました。
また、後輩が出来ても指導を含め部員の中でやらなくてはいけませんでした。

つまり、指導する人がいないという事は
「練習をする以外にもかなり時間を割く」
ということになります。

公立高校だった為最終下校時間も決まっている中、練習のみに時間を費やすことが出来ないのはなんとも歯がゆいことでした。
かといってマネージャーがあれこれ決める訳には行かず、キャプテンはレギュラーとして練習をこなしつつ練習メニューを考え、後輩の指導をし、かなりハードな1年間だったんじゃないかなと思っています。

そんなキャプテンも高三の夏前に入ると「最後くらいは練習に専念したい。だから後輩の指導はよろしく」と、まるっと仕事がマネージャーに回ってきました。
私も3年生なんだけどなーと思いつつ、夏前はほとんどグラウンドには行けていなかったのを覚えています。

そんなこんなで高三の夏の大会。
春の大会に続いて人生で2度目、そして最後のベンチ入りとなる大会です。
初めてベンチ入りした時は緊張で浮き足立っていましたが、2度目となる夏なら大丈夫だろう!と最初はタカをくくっていました。
しかし最後の大会、負けたら引退と思うと人生で一番緊張した時間だったと思います。

結果神宮で試合をすることなく引退してしまいました。
負けて引退となった日、泣かないと決めていましたが同期の部員が泣いている所を見て思わずもらい泣きしてしまいました。
後輩のマネージャーに恵まれ、沢山入ってきてくれた後輩達が泣いているのも辛くて見られませんでした。
(後で男泣きカッコよかったですと言われました。女なのに。)

軽い気持ちで引き受けた野球部のマネージャーですが、様々な人達に助けられて何とか三年間やり遂げることが出来ました。
「絶対に無理だ」と反対していた両親も最後の大会に足を運んでくれて褒めて貰えたので、まあ見返せたかなと思います。
全然青春じゃないと嘆いていましたが、思い返すと確かにあの時間は青春でした。
合宿最終日のバーベキューも、大量生産のバレンタインも、雪が積もった時に作ったかまくらも、なぜかベンチプレスをさせられた冬練も、寝る時間を削って作った文字鶴も、全てが青春でした。

大学では硬式野球のマネージャーはやらないと決めていました。野球部と聞いて思い出すのはこの野球部がいいと思ったからです。
引退して何年経っても母校の試合結果は気になってしまいます。

いつか、神宮で試合がしてほしいな。
OGより。


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