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不安と混沌

人は自分が、その瞬間瞬間で正しいと思うことを言ったり行動したりする。敢えて間違っていると思いながら選択するのは、そこには「間違いたい」という明確な意図がある場合だけ。
その自分の中での「正しい」選択が、本当に正しいのかなんて、後から振り返って見なければ絶対に分からないんだけど、結果的にそれが正しくないと、批判に晒され、場合によっては「責任を取れ」と言われる事もある。
特に、例え判断する対象に対しての経験が無く、下すべき判断の妥当性を計る術が無かったとしても、「お前は担当だから責任がある」と言われる。まさに暗闇の中を歩いていて、目の前に現れた穴に突然落下するような状態。
結果論とは良く言ったもので、既に起こってしまった現象に対しての批判意見なんて、誰でも出来る。でもそれが罷り通るのが、サラリーマンという仕組みの象徴。

問題は、それの「仕組み」自体の良し悪しでは無く、そのような謂わば理不尽な状況に追い込まれた時にどんな考えで行動するか、に他無い。

言い訳を並べて自分に非がない事を主張し続けるのか、それとも素直に誤りを認めた上でリカバリーの為の策を前向きに考えるのか。
間違い無く、後者の方が良い。勿論、その間違いに至るまでの言動や行動を省みる必要はあるし、それを経験値として周りに伝えることも必要。
しかし、つまるところ「覆水盆に返らず」、起きてしまった事はどうにも出来ないから、後はどうやってこの状況を乗り切るか、を必死になって考えるべき。

これって至極当たり前の事だけど、こうして文字にしないと不安に押し潰されそうになる。

自分を否定されると、挙げ句の果てに「自身の存在意義は?」みたいなとこまで考えてしまうのは間違いだと思う。
きっと誰かに「あなたは間違ってない」って言って欲しいのだと思う。

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