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赤い公園について

良く聴くようになったのは、ふとしたキッカケ

むかーし、東京FMの「恵俊彰のディアフレンズ」にゲストで赤い公園が出演してて、仕事中にたまたま聴いていた

まず、「赤い公園」ってバンド名が好き過ぎる

ふつー、バンド名って、なんか意味ありげな横文字とかにしない?とか、赤の広場に関係あんのかな?ロシア人なのかな?とか思って

フロントマンのGt.津野米咲(つのまいさ)がほぼ全部の楽曲の詞と曲を書いてて、結構前向きな歌詞とギターの鳴らし方がカッコいいなあと思って聴き始めた

ボーカル佐藤千明の声が好き過ぎる

甘い、女の子っぽい声なんだけど、低音域でグッと大人っぽい感じになるとこが、津野さんの紡ぐ歌詞をよりリアルな心情を伴うものにしていると思う

SMAPに楽曲提供した「JOY」

この曲で津野さんは「世間」からすごい評価を受けてバンドとしても「絶対零度」とか凄い曲をリリースして勢いがあった

そして佐藤千明の脱退

正直、もうダメかなと思った。佐藤千明のボーカルは、津野米咲の楽曲を鳴らす為に存在しているし、津野米咲の楽曲や詞は佐藤千明が歌う為にあるんだし。理由は知らないし、知りたくもないしもういいや、ってなって、そのあとは「赤い公園」から離れてしまった

津野米咲の急死

自分の生活から、「赤い公園」が遠のいて暫く経った頃、このニュースが流れた。最初、病気だったのかと思ったが、どうやらそうではないみたいだ。新しいボーカル(石野理子)を迎えてやっていくらしいのは知っていたが何となく「佐藤千明じゃないならなぁ」って複雑な気持ちでいたんだけど、まさかこんな事になるなんて、という混乱と、1人でそこまで抱えていた、抱えざるを得なかったものは、一体何なのか?と。そんなものは本人にしか分からないことなのに、勝手に想像しては文字通り胸が締め付けられるような日々を、暫く過ごした

アウトプットとインプット

これだけのクオリティの曲と、同時に鳴らす自らを映す分身としての歌詞を紡ぐ事は、自分の身を削るような行為なのかも知れない。おそらく彼女はこの世の中のあらゆる事を自分自身に取り込みながら、それらを精製し、「赤い公園」という媒体を通じて私のような凡人にも響くものに昇華してくれていたのだと思う。でも、彼女の常人ならざる感性は、多すぎるそれらインプットを抱えきれずに、それを作品として吐き出せる量を遥かに超えていてしまっていたのではないかと、そんな事を考えてしまう

楽曲が残り続ける事の素晴らしさと、残酷さ

津野米咲の残したものは、これからもずっと変わらない。当たり前だけど、これって凄い事。変わり続ける事が当たり前だし、変わり続けない事の方が圧倒的に少ない現世で、紡いだ曲や歌詞は決して変わる事はない。何故なら、もうそこに津野米咲はいないから。2020年10月18日のあの日のままだから。同時にそれは残酷でもある。変わらないものには価値があるし、同時に価値が無いとも言える

それでも日々は続くていく

石野理子を迎えた最初のシングル「消えない」が好きだ。そして津野さんが発売を待たずに逝ってしまった両A面「pray」の歌詞に

「それでも行くのかい
 傷を負ってまで
 小さな胸が躍る方へ」

「I pray for you それじゃ、またね
 君の旅が どうか
 美しくありますように」

どんな気持ちで、どんな希望で、どんな絶望で、この歌詞を紡いだのだろうか?
もうそれを知る事はできないけど、その時の津野さんの想いを、僕は想像する事だけしか出来ない

きっと「赤い公園」のこれからの可能性を信じて紡いだんだと思う、いや、思わずにはいられない

例えば。

人が何かに向かっていく時に、昔ほど確かな答えが無い事の方が多い時代になって、「そこ」に当たり前に存在すること自体がまるで何かの奇跡かのような時代になって

自分自身の存在意義とか分かんなくなる事が多いし、いつも不安だから、昨日をトレースする事に固執してしまう自分がいる

毎日、生き残るために、生きていくために、自分を少しずつ擦り減らして

そんな時に、赤い公園は、津野米咲は、これからずっと変わる事のない歌や曲や声やギターで、ずっとそこにある。それってどれくらい安心出来て、どれくらい切なくて、どれくらい愛しい事なんだろう

この記事を飛行機の中で書きながら、不覚にも泣いてしまった、そんな事に何の意味も無いのにね

#津野米咲 #赤い公園 #諦念 #諦観 #希死念慮
#佐藤千明 #HSP





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