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薬師見平探訪記

薬師見平は、黒部川上流の通称「上ノ廊下」近くにある高層湿原です。かつて、昭和30年代に奥黒部ヒュッテから高天原温泉への最短ルートとして「高天原新道」が拓かれ登山者が行き来していた場所にあります。

2016年夏、山岳雑誌「岳人」編集部の依頼を受けて、この幻となっった「高天原新道」と薬師見平の探検に行くことになりました。今回はその時の記録です。

現在ではその高天原新道は廃道になり、代わって赤牛岳の稜線を通る「読売新道」が歩かれています。

この高天原新道、昭和39年に開通したという記録があり、その後昭和44年の大雨で一部が崩壊したために通行ができなくなりそのまま廃道になった、と言う説がありますが、あまりはっきりとした記録が残っていないので、この辺りの事情については分からない事が多いようです。

薬師見平の存在は雲ノ平山荘の主人伊藤二朗から時々聞き及んでいました。「日本最後の秘境」と言われる雲ノ平ですが、かつて人間が足を踏み入れていたのに、現在は誰もいかなくなった場所として「薬師見平」こそはまさしく秘境の名にふさわしい、そんな話で盛り上がっていたのです。

伊藤氏たちも高天原温泉の奥にある夢ノ平から薬師見平を目指したことがあったそうですが、厳しい藪漕ぎ、不安定な沢筋の横断など困難を極め、赤牛沢まではなんとか到達したもののその先へ進むのは諦めていました。

薬師見平地図

(上:今回紹介するルート(赤線))

<いざ奥黒部へ>
岳人編集部員で若手クライマーFさんと二人で黒部ダムから入山。初日は奥黒部ヒュッテまで雨の中を歩きました。当初の目論見としては、かつてあった高天原新道のルートをトレースして薬師見平に到達する、そういうものだったのですが、奥黒部ヒュッテヒュッテで情報収集するも、現小屋番の方は当然高天原新道のことはご存知ありません。小屋の周囲でそれらしき形跡を探してみても深い森に覆われていて何の手掛かりもありませんでした。

深い藪の斜面をトラバースしながら、いく筋もの沢を横断していかねばならない事は、地図を見ただけでわかります。一体どれだけの時間と労力がいるのか、近づいている低気圧も気になり、当初の方針を変更して、赤牛岳山頂から一気に薬師見平へ下降することにしました。

翌朝、奥黒部ヒュッテを後にして読売新道へ入りました。このルートもかなりハードなルートです。標高1500mの奥黒部ヒュッテから2864mの赤牛岳山頂まで、幕営装備、沢装備、60mロープを含む登攀装備、食糧、そして三脚を含む撮影機材を担いで、きつい登りが続きます。

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