見出し画像

死んでも悲しまれない私へ

ちょっと"美緒48歳"の投稿へのアクセス数が、どこかに晒されたかなという感じの急上昇で心拍数上昇半端ないです。
段々とnote側が検閲してるのが分かってきたので、ここは辞め時かもしれませんね。移るなら次はブログかなと思います。教唆したり予告したり全くしてないんですが。

やっぱりずっと死にたい。土台はこれだ。土台はずっとこれだから、何してもどこに行っても駄目なのかもしれない。自殺念慮を一時誤魔化せても、それは本当に一瞬。次気付けばまた飲み込まれる。だけど、それは私の今や過去を考えれば別に不自然ではない。認知の歪みとかそういう言葉では誤魔化せないただの現実。

今まで意図的に言及しなかったのが、去年のワーホリ挫折です。その前に色々書いたのでかなり恥ずかしくなったのと、経緯が結構嫌な感じだったり、誤解されそうに感じたから。

私は自分はある程度親のいる環境、日本への適応障害の部分もあると思ってるから気力というか最後の力が出る時は出ます。じゃあ完全に出て行けば?と思うでしょうが、スターターとなる金銭的な部分に加え薬に足を引っ張られてる現状。そして、病であることは辞められないため、一時的な滞在が可能でも長期的移住はできません。また、実感としてもう生きていける環境はどこにもありません

実際には、私はワーホリに行く前日この前と似た状況で首を吊っており、どうしようか文字通り死ぬほど迷った結果直前に相談した主治医のゴーサインによって渡航しています。(呆れた。盲目的すぎたね😅)

詐欺にあったことを頑なに認めない母親と、自動的に母親側につく父親vs自分で連日刃物が出てくるような揉め方。私も確かに死にたいが、親からも死ねと言われる(その後本気じゃなかった…みたいに取り繕う、繰り返し)。

家の外も去ることながら、中に敵しかいない状況。家にいればいつも休まらない。心臓に負担かかってる実感有り。陰湿な罵詈雑言、怒号。そういった親との同居に耐えられず、かといって日本で今すぐ出て行ける場所はない。でもワーホリのビザと住居の当てはある。首を吊って逝けなかったからもう行くしかない。場所は画像より、お察し願います。

また、この話はクビになって終わりのためこれだけ足掻いたけど駄目だったというエピソードにしかならないからもういいかなと思いました。あれだけ死ぬ前に日本から出て行きたいと言いながらワーホリというオプションをスキップするのも、自分で納得できなかったというのもあります。まず主治医に確認し、検査を受け、処方薬も規定通りの持ち込みです。だから薬の影響で余程の工夫か現地調達しない限り元々長くいるのは難しかったけど、挫折が早すぎた。

ワーホリのビザ申請は基本的にオンライン上で完結しますが、私のように"事情あり"の場合医者に行ってレントゲンを撮ったり血液を採取したりしないといけません。ですがメディアが出稼ぎだとか煽るせいで渡航者爆増。向こうからメールのあった後期限的に即クリニックへ検査に行かなければならないところを、全然予約が取れずメールしてデッドラインを延ばしてもらいました。検査は引っかからず、そこからビザ自体は割と早く取れており、主治医には何度も相談しましたが自分の答えが出ず、職と住居の不安定さからかなり躊躇していました。

ワーホリですが、資金が少なくても行けるのが最大のメリット。NZやオーストラリアにおいては賃金が高い。ワーホリの職は云々…と言われても日本で時給1100円くらいだったのがトレーニングから23ドル(これは場所による)と言われれば必死にもなります。デメリットは何と言っても職と住居の不安定さです。

最初は掲示板で探しましたが、実際掲示板は話と違うことが多くあまり信用もできないのが現実。

話が前後しますが、その後私はその時の友人(今はもう…)のお陰で入る寮が決まっていたためとりあえずはそこを拠点にしようと考えました。独房くらいの広さの部屋が連なるワンフロアを最大11人(女性オンリー)でシェアするという状況で、その割には高いような気もするし。最近値上げしたとも聞いた。最初は日本人もいないし、親切な人ばかりで来てよかったと心底思った。職のことも相談に乗ってもらったり、お菓子や食事を分け合ったり。
相変わらず自分をまともに見せるために、家族と良好なふりをしたり他にも質問を誤魔化したけど、貴重な時間だった。

隣の人間がけたたましい笑い声をあげながら通話を毎晩するのが判明するまでは…。ち○かわのうさぎよりよっぽど酷いね、あれは。

もう ヤァハハハフゥゥ⤴︎⤴︎ みたいな。
しかもリピート。

話し合いもしたけど耳栓しろの一点張り。してるに決まってるだろうが。で、歩み寄ろうと挨拶してもガン無視で、私以外にはかなりの笑顔だし不機嫌アピールが母親と似ていた…。これに耐えられたら、結果的には今みたいに動けないレベルの鬱にはなってなかっただろうね。もう少し粘ってればね。帰国した次の日、別の店舗から面接に来ないかと言われるタイミングの悪さだった。

バイトの件ですが、所謂ジャパレスです。オンライン応募フォームにcvとカバーレターをつけて送り、オーナーからのメールの返信に従い面接へ。事実なので、行ったことがあるのを強調しました。cvはチラ見くらい。聞かれたのは英語力のところ。IELTSのスコアのところしか見ていない感じでした。面接したのはマネージャーで1日トライアルの後、I don’t see any problems. と褒めてはいないもののどうにかパスして働くことになりました。この時、正式な契約書は交わしていません。それが問題になるのはクビになった後です。マネージャーは実際店舗で仕事する傍ら、採用業務もこなしており、同じアジア人女性で私より若く見えるのにすごいなと思いました。この時は。

立ち仕事に慣れてなかったのもあり、足の指の爪が変なふうに曲がりました。局部インソールで誤魔化し、バンドエイドを巻きまくりました。

発達グレーで動きおかしい上色々知識も欠落している。特に…酒。私にとっては、日本酒やワインは銘柄気にして飲む物じゃない。崇高な趣味持ち合わせてない。そもそも薬の事もある。

私は酒に全く詳しくなく、お客から教えてもらう始末でしたが…向こうのお客は自分が神じゃないことをしっかり理解しているためものすごく親切です。鉄板的なもの?や皿をいくつも持ってやばい!という時もテーブル近くなると向こうから受け取ってくれるため溢さずにすみました。マネージャーに冷たく当たられた分、お客には感謝してもしきれません。ただ、向こうの方々めちゃくちゃ食べこぼすよね…。他の衛生管理にもドン引き。誰も腹下してないうちは大丈夫。なのか?

結論から言って、一ヶ月以内にクビになりました。初日以降もトライアル雇用だったようです。その点知らされていなかったのと、向こうの労働基準法にあった初日トライアルでも時給は発生する旨等を詰めたところ財政担当から連絡があり、その影響かマネージャーと険悪になり、服を返しに行ってもこちらを見ず完全シカトでした。

〜クビになったシーン〜

クローズ後、影のテーブルに呼ばれる。

マネージャー"あなたは今まで本気でやったと思う?"
私"(察し)…自分の中では"
マネージャー"もっと速くできるはず"
私"努力します"
マネージャー"あなたより有望なバイト候補はまだたくさんいる"
マネージャー"つまり、来週から来なくていいです"
私"えっ?……分かりました、何にせよ良い経験になった"
マネージャー"忙しい店や立ち仕事はもうおすすめしない"
私"(え?それはそうかもしれないけど…今言う?)半笑いで店を出る"

途中言い草ほんと何?と思ったので少しは言い返した気がしますが(こういうところが駄目らしい)ゴネてもどうにもならないので基本的には黙って、終わりました。私なりの必死は結局クビレベル。

💚💚

あの日寮に戻り、徐々に徐々に絶望しましたが、首吊りの後右手が痺れている中では良くやったと思います。また、時給が高いため支払いをそれなりにカバーできました。足の指はクビになって暫くして治りました。

だけど良い経験になったのは本音だな。やはり言われている通り、日本は低賃金に対して求め過ぎ。一方、実力主義の海外だと私のような人間には高時給に対して相応の働きができなければクビになるから、どのみちどこにも居場所ないよな。結果、それが分かっただけ?分かっただけでも良いか?

クビになった後、アドバイス頂いた通り人の入れ替わりが激しい小売店にcvを持って行き、その時はもう不要とのことでしたが、後で人員が不足したら連絡して下さいと念押ししました。その結果、騒音に耐えかねた挙句、引っ越しする気力もなく資金もかなり不安で、帰国した次の日にメールを貰ったという訳です。面接=雇用ではないけど、さすがに運が無さすぎて暫く感情の処理ができませんでした。

私は、自分の人生それなりに足掻いてきたと思います。大概自分もおかしい自覚はあるけどね。

明らかに自分が悪かったこともあるし、踏ん張れるところで手を抜いて後悔したり、この話とは逆に運が良かっただけで乗り切ったりもしたが、バックグラウンドがかなり悪い中で、自分なりには浮上しようとはしてきました。自分がこの人生はもう駄目だと思ったのは15歳くらいの時。12歳で飛び込もうとした時はさすがにまだ終わりとは思っていなかった。

明確に思い知ったのは4年前。4年前は、正社員になればまともになれる、人生がどんなものか分かる、幸福って何?の答えが分かると思っていましたが実際にはハラスメントや、バッググラウンドが悪いと何も好転しないと思い知りながら退職。親にきちんと愛されなかった場合、ターゲットになりやすいのは否定できません。幸福が何かは分からないままだし、どうせそういう状態にもなれないし、漠然とした満ち足りた気持ちを追い求めるのも無理がある。それに私にとっての幸福はもう存在しないと分かってきたから、幸福になりたいとかはもう思わない。好転しないと思いながら色々やるのは完全に止まるのが恐怖だったのと、シンプルに金銭的な話と家に篭っていると鬱が悪化するから。まぁ実際には外で挫折するごとに鬱が更に悪化していくんだけど。

そこから、正社員は圧倒的に短いけど、バイトや委託業務等何らかの形では(短時間だけど)働いてきた。だけど今はもう…。もう雇われる所から厳しいし、ハキハキした振りの声なんか出なくなってるし隠し切れない負のオーラ。もう全て誤魔化しが効かず明確に限界がきている。経歴の割には雇ってもらってきたけど、年齢的にも自分の状態的にももう難しい。家庭の事情も隠し切れない。

勉強は波があるけどずっとしている。特に英語は、尊厳死に不可欠だから。

誰も言ってはくれないから自分で言うけど、その時々でやれることはやったと感じる。その上で手遅れなんだわ。もうバイトに応募するだけで見上げたもんじゃんとすら思いたい。ちなみに直近のは面接で落ちた。二時間くらい話したのに?!多分、理由の一つは私が親に関することを言ってしまったからだと思う。馬鹿だな、自己開示は身を滅ぼすってセクシャルアサルトで思い知った癖に。

向こうはあらかじめ私の経歴は知っていたので…。その真偽はともかく世の中でも問題になっていることは他人事のふりをしなければ受け入れられないだろう。そして何においても、連絡が遅い場合は大抵がバッドニュースです。

今まで基本的にずっと孤立していて、助けとかなかった割にはまぁ足掻いたんじゃないかとは本当に誰も言ってはくれない。何故なら世間での当たり前以下だから。けどもう死ぬ前にやりたいことはあっても、やらないといけないことは大体やり終えたと思う。

もう生きるのは無理だと思う。というか、肉体的には生きてるけど精神的にはとっくに死んでる。生きるのをやめてる。肉体と精神の擦り合わせをして何が悪い。

やっぱりワーホリが完全に駄目になってからの精神の死に方はかなりスピード感あった。もう環境変える手がないから。どんなに嫌なことがあっても、日本より良かったという感覚だけは残ってる。だってこんな家で寝たきりなの、もう希望がないどころの話じゃない。生き地獄のレベルMAX。毎日毎日、もう息が詰まって絶望感で身動きが取れません。

ただ渦中にいると帰国したらどうまずいかとか何も見えなくなっては空回る。物価が高過ぎたのとキッチンを占領する人がいたので、食事は終わってた。

超短期ワーホリの話はいずれまたするかもしれません。ただ、検閲するようなここじゃないかも。

好転しないという予想通り状況は悪化していくばかりで、全てに対する余裕はなくなってくる。精神疾患は一部を除き環境因がかなり大きいけど、その悪い環境すら変えられなくなってくるのがこういった病の救いがないところです。

私は尊厳死以外、外部や他人に何も期待しないし信用も一切しないので。また、理解ある○○だの何だの他人に委ねること自体日本の精神、障害者福祉が破綻していることを示唆しており、真に問題視すべきはそこ。トラウマに関連しない人間関係が"無い"時点で私は治療の対象ですらない。

何度でも言うよ。精神科フィールドでは、沈黙は金じゃない。

尊厳死したいのは私の感情と社会的立場からだけど、止めるのも所詮は感情論か利権か保身。あまり変わらないよね。

死んでも悲しまれない私へ。
とりあえずお前は黙るな。

Thanks for reading my post 💚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?