声に出して歌ったら泣いてしまうポルノグラフィティの曲

ポルノグラフィティの音楽が好きだ。思わず踊り出したくなる曲や頭を上下に振りたくなる曲、深夜にヘッドフォンで静かに聴きたい曲などバリエーション豊富なメロディが好きだ。あの曲のあのイントロ、と脳内で鳴り出すギターリフが好きだ。どんなに遠くても小さくても切り取られた部分が短くても、真っ直ぐすぎるほどリスナーに届く声が好きだ。でも、いちばん好きなのは、やっぱりポルノグラフィティの曲の歌詞だ。
デビューから現在に至るまで、ポルノグラフィティの曲の歌詞はほとんどが新藤晴一・岡野昭仁両氏によって書かれている。ラブソングから背中押してるんだか押してないんだか分からん系、はてはゾンビまで、おおよそ二人で書いているとは思えないバリエーションの多さに舌を巻くが、現在発表され音源化されている全249曲のうち、「声に出して歌詞をなぞって歌うとどうしても涙が止まらんのんじゃ~!」となる曲が全部で8曲あるので、ぜひともここで紹介したい。そして泣きたいときに聴いてめっちゃ泣いてポルノグラフィティのこと好きになってほしい。

ちなみにシングル全54曲のうち41曲は晴一さん作詞、アルバム収録曲などを含めても6割弱が晴一さん作詞のものである。二人の書く歌詞の違いについてはさまざまな方が論じているのでここでは省きつつ、いつか自分でも文章にしたい。(一般的に「ポルノグラフィティの曲」と思われている曲のほとんどは晴一さん作詞なんだよなあ、としみじみ)


1.『みんなのカープ』(作詞:新藤晴一)

シングル「ワン・ウーマン・ショー~甘い幻~」カップリング

しょっぱなからすまない、ラブソングでもなんでもなく、わたしが声に出して歌ったら必ず泣いてしまう率100%の曲はこれなんだ。もう前奏からだめ、やばい、しぬ。なんなら歌詞を朗読しただけでも一行目で泣いてしまうだろう。

広島東洋カープの歴史は、野球好きなら誰もが知るところだし、わたしのように野球のルールすらよく分かっていない人間でも、広島に生まれ育てば必ず誰かかから教えられる。広島の焼け野原から生まれ、プロ球団で唯一特定のスポンサーをもたず、狭くて古い球場を長らくホームとし、巨人や阪神ファンから「俺らのファーム」と揶揄され、それでも広島の人たちは資金が必要ならばと樽募金に千円札を入れ、野次りながら愛してきた、その歴史を知っているから、この曲で描かれたカープへの全力の愛を感じて涙を流さざるを得ないのだ。

広島の子供は誰もが一度 浩二や衣笠みたいに
でっかいホームランを打つ夢を見た

いや知らんよ、少なくともわたしは見てないよ。でもその景色を共有しているさまはありありと思い浮かぶ。おそらくこれが巨人や阪神の選手では成り立たぬ訳です。「虎よその背中に僕ら乗せて走れよどこまでも」では涙は出ない。ぼろぼろの町がひとつひとつ生活を立て直し成長していく中で、当時の人々の数少ない娯楽として存在していた広島東洋カープの野球を、広島のひとたちみんながわくわくしながら愛していた、その歴史を感じさせる一行にわたしは涙が止まらなくなるのです(実際泣きながらこれを書いている)。そしてその「ホームランを打つ夢」を、大きくなってから忘れてないかと気づかせてくる2番の歌詞も泣ける。こういう、風景から急に身近な現実に戻るスピードがやたら速いのも晴一さんの歌詞の魅力で、昭仁さんの声の真っ直ぐさもあいまって心に直球ストライク。胸が苦しい。


2.『邪険にしないで』(作詞:新藤晴一)

シングル「アニマロッサ」カップリング

今度はラブソング!!でもこの曲は「ラブソングだから好き」というよりも、「あの新藤晴一がお国言葉で歌詞を書いてくれたなんて……!!」という驚きの方が勝っている。常々「書く歌詞は基本フィクション」とインタビューなどで答えている彼が、限りなく地元の言葉に近い表現で歌詞を書いたことにいたく感動し、曲を聴いてさらに号泣、という流れが止まらないのである。これちゃんとしたイントネーションで朗読できる人地元民以外でいる?ってくらい、非常に忠実な広島弁である。(厳密には因島弁なんだけども。)そしてそれは、普段自分が使っている言葉そのものなので、普段の歌詞よりずっとずっと主体の言葉がストレートに響いてしまって涙が出てしまうのだろう。

わしの気持ちがわからんゆうんか
いつもお前の名前呼ぶ時にゃ
その後ろにハートマーク そっと付けとんじゃが わからんか

こういう男性はたとえば『Name is man~君の味方~』などにも描かれているけど、「男はそんな簡単に好きって言わないぜ」っていうのはあんまり好きではなくて、好きならもっと軽率に好きって言ってほしいんだけど、「君が好き」を「呼び名の後ろに♡を付ける」ことで表現するパワーに脱帽。そして「付けとんじゃが」ってちょっと拗ねてしまうところもずるい。「じゃが」って、「じゃが」って……!!もういい、ぜんぶゆるす。でも2カ月に1回くらいはちゃんと好きって言ってくれたら嬉しい。


3.『横浜リリー』(作詞:新藤晴一)

アルバム「m-CABI」収録

新藤晴一のスタンド「ストーリー・テラー」が存分に発揮されているこの曲。最初から最後まで物語。すごいのは、「わたし」のことについての描写がほとんどないこと。「あなた」のことについてはじゅうぶんすぎるくらい描いてあるので、根は優しいけどアホなゴロツキなんだなって分かるけど、「わたし」がどんな女かは分からない。極端に言えば、わたしだって「わたし」になれる。なんてこった、新藤晴一は夢小説も書けたのか……!!

「わたし」のキャラクター像について、わたしはずっと「横浜の高台に住むお嬢様がヤンキーに絡まれていたところを『あなた』に助けられ、身分違いであるにもかかわらず魅かれてしまうけど住む世界が違うことをお互いに認識してしまい離れてしまった」だと思ってたんだけど、ツイッターのフォロワーさんには「娼婦だと思ってた」と言われてなるほどそういう解釈もありかー!と衝撃を受けた。それくらい聴く人によってイメージが変わる曲は、ポルノグラフィティの曲の中でもなかなかないのではないか。

横浜のリリーは今 違う街に暮らしてる
誰も彼女のことをリリーとは呼ばない遠い町で

曲の最後にやっと、「わたし」について一言だけ描写される。「ここ(横浜)に帰って来さえすればまた愛してあげる」と言っていたにも関わらず、横浜を離れてしまったこと。そして、横浜にいた頃とは全く違う生活をしていること。だけど、一人でいるのか、誰かといるのか、何年経ってるのかなどの具体的な描写はない。そこに聴き手の想像の余地があり、想像の数だけの物語を聴き手もまた作ることができる。聴き手が成長したり、人生経験を積んだりすることによって、また違う物語ができるかもしれない。そういう「余白」がこの曲は最も大きくて、わたしはその時どきの「一番泣ける物語」を脳内で作って泣いてるのかなあ、と泣きはらした頭で考えるのであった。


4.『愛が呼ぶほうへ』(作詞:新藤晴一)

最近では合唱曲として歌われたり、「しまなみロマンスポルノ’18」では因島高校の生徒さんたちと歌おうという試みをしていたりと、ポルノグラフィティの曲の中では珍しい愛され方をしている曲。「愛の擬人化」と言われるこの曲も、新藤晴一の類稀なる作詞力を目の当たりにできる。「My name is love」って言ってんのに主体が愛そのものだって気づくのに15年くらいかかったよ……わたしが鈍いのか新藤晴一がすごいのかっていうと、たぶん両方だと思う。

旅立つ君をただ黙って送った 父の背中の涙を受け止めていた

「愛の擬人化」に気づいてから、自分に寄り添う愛について考えるようになった。もらった愛も与えた愛もたくさんあるし、それは恋愛の愛だけではなくて、友との愛、きょうだいとの愛、人ではないものを愛する愛もある。でも、こどもを産んでからは、どうしても親子の愛というのを自覚せざるを得ない瞬間が増えた。わたしの親は結構とんでもないんだけど、そんな親に愛されたこと、そんな親を許して愛していること、そしてわたしも我が子に無償の愛をもらい、掛け値なしで愛してしまうこと。それを強烈に気づかせるこのフレーズについ涙を流してしまう。親子愛なんてしょうもねえ感傷に浸れるかよ、と思っていたのも本当で、でも自分が我が子を送り出すときにはきっと愛が寄り添ってくれるのだろうと気づいてしまった。わたしも彼らも、世の中に生きるかつて誰かのこどもだった大人の多くがそのように愛されていることに気づかされ、また愛したいと思わせる懐の深い曲である。


5.『瞳の奥をのぞかせて』(作詞:新藤晴一)

まず新藤晴一という人は女性目線の歌詞が死ぬほどうまいことで有名ですが、『サウダージ』と並んでやばい、号泣回数では『サウダージ』を圧倒的に上回ってるのがこの曲。こんな道ならぬ恋なんてしたことないのに、この曲を聴いてるとまるで「私」が自分になったような感覚がびりびりする。それはおそらく、新藤晴一の作詞力のみならず、この曲のメロディとの親和性の高さのせいでもあるだろう。終始メロディがゆらゆら揺れていて、それはそのまま「私」の感情のぶれ(愛しい⇔憎い)にリンクしている。

ピアノのように磨きあげたあの黒い車はどのあたり?
この「さよなら」はひと時のため?それとも永久の別れなのか

この曲がわたしを泣かせるのは、このワンフレーズがそのまま過去の自分と重なるからだ。こういう「自分と重なるフック」がある歌詞はどうしても心に引っかかりやすいし、ここ以外のフレーズも自分の経験のように感じやすくなってしまう。彼はそういうフックがある歌詞を書くのが上手い。

多くの人に聴いてもらえる、売れる曲の条件のひとつは「共感をよぶこと」で、それはaikoや浜崎あゆみや西野カナが証明しているけど、新藤晴一だって負けてないよなあとこの曲を聴くたび思う(そして泣く)。


6.『シスター』(作詞:新藤晴一)

この曲はもう仕方ないと思うんだけど、ポルノグラフィティからTamaが抜けて2人になって、これからどうなっていくんだろうっていう状況の中で出された最初のシングルなので、どう頑張っても歌詞がその当時のポルノグラフィティの寄る辺無さとか不安とかを表しているような気がしてファンとして泣けてしまう。新藤晴一は元々「フィクションで歌詞を書いてる」って明言してるからそういう風に思われるのは本意ではないだろうけど、おそらくこの歌詞が色々想像されることも織り込み済みだろうと思うので許してほしい。

あなたのために祈ることなら今の僕にも許されるでしょう
流れ流れて漂う先で懐かしい日々を思い出してる

ここ聴くと胸がぎゅーってなるのはわたしだけではないと思うんだよなあ。もう祈ることしかできない誰かは恋人かもしれないし、友かもしれないし、親か兄弟かもしれないけれど、そうやって悲しみを抱えた時間に黙って聴きたい歌詞だ。昭仁さんの歌い方も、他の曲と違って少し控えめだからそう思うのかもしれない。


7.『プッシュプレイ』(作詞:新藤晴一)

(アルバム『THUMPx』収録……だけど是非ライブ音源を聴いてほしい)

もうこの曲は仕方なくない?!昨年の東京ドームライブを経験した・観た・聴いたファンはみんなこれで泣いてまうって!!前にも書いたけどわたしはこれより『Let's go to the answer』の方がわかりやすくて好きで、こっちはむしろ「自分の好きだったアーティストを俯瞰的に見つめる」って歌だと思ってたので、そこまで思い入れがある訳ではなかったんだけど、ポルノグラフィティが20周年を刻むライブの最初の一曲に両日これを選んだことに号泣するしかなかった。ポルノグラフィティが好きで、大好きでいるわたしたちの気持ちを汲んでくれたんだろうという感動でいっぱいになった。さらに本編最後の『VS』で余計にその思いが強まった。

僕を突き動かし導いた
あの魂の叫び今聴きたい

これはわたしのきもち、そしてみんなのきもちで、新藤晴一のきもちだ。音楽を愛するすべてのひとびとのきもちをこのワンフレーズでまっすぐ描くのがすごい。「今聴きたい」の「今」ってのが切実で、突き動かされた記憶を呼び覚ますための「あのロッカー」の叫びはもう聴けないかもしれない(だって「まだ闘ってっかな?」って疑問視してるし)っていう不安さえちらつく。だからこそ、新藤晴一本人は意識してなかったにせよ、『VS』がアンサーソングのように沁みてくるんだよなあ。あの東京ドームライブ以降、この曲はまた特別な意味を持ってわたしの涙腺を刺激するようになったのでした。


8.『ギフト』(作詞:新藤晴一)

ポルノグラフィティの背中押してるんだか押してないんだか分からんシリーズの中でも特に歌ってたら涙が出るのはこの曲。落涙ポイントはここ。

最初に空を飛んだ鳥は翼を広げた格好で
どのくらい助走をつけて地面を蹴ったんだろう

自分の感情や状況を述べるところから急に情景が飛躍するのは新藤晴一の書く歌詞あるあるなんだけど、この部分もなかなかの飛躍っぷり。だけど自分自身の自信のなさを、「最初に空を飛んだ鳥と比べればなんてことないだろう」って意味を込めてサビに繋げるこのフレーズにはもう感服するしかないし、最初に空を飛んだ鳥の勇気を全力で褒め称えたくなる。「鳥~~~~~~~!!!!!」って言いながら号泣してる。

また2番の同じメロディラインでは「鳴り止まぬ歓声を浴びる人は遠い世界さ」と歌っている。新藤晴一という人は比較的自分に対して「自分は才能のかたまりというわけではない」という視線を持っていて、さらにそれをあまり隠そうとする人ではないと思っていて、この曲の「僕」もなんとなく彼のそういう気持ちと被ってたりするのかなと感じている。(もちろん『シスター』のところでも書いたように「歌詞はフィクション!」と言ってる側面もあるんだけど)だから「歓声を浴びる人」であっても自分の才能の小ささに絶望する瞬間はあるんだよ、と囁かれているようなそんな気になるのだ。

さらにこの曲は最近昭仁さんがよく弾き語りしてるので、この閉塞した状況に一筋光を射すような曲にも聴こえるようになって、それもまたわたしを泣かせる理由になっている。


おわり

以上8曲がわたしの「声に出して歌ったら泣いてしまうポルノグラフィティの曲」であった。純粋に歌詞だけで選ぼうとするとこのラインナップになるんだけど、その理由を考えると「メロディとの親和性が……」とか「昭仁さんの歌い方が……」とか「この時の状況が……」とか歌詞以外の要素もいくつか入ってきて悩ましかった。曲の魅力はもちろん歌詞だけではないからそれで正解なんでしょうけどもね。そもそも声に出して歌ったら泣くっていう条件の時点でそれは歌詞だけで泣いてるのではないよなあ、とここまで書いて思った!ははは!!!

単純に「ポルノグラフィティの大好きな曲」「大好きな歌詞」って括りだと昭仁さんが書いた曲がたくさん上がってくるんだけど、じわじわと泣かされるのは晴一さんの歌詞の方なんだよなあ……悔しい……彼は分かっててそれをやってそうで、術中に嵌ったみたいで悔しい……しかし嬉しさもある複雑なファン心理であった。実際、8曲全部新藤晴一作詞だしね。

これからも楽しい曲、泣ける曲、ぞわぞわする曲、踊れる曲、アホな曲、バリエーション豊かにどんどん発表していってほしい。どんな曲でもポルノグラフィティなんだと、おそらく本人たちもわたしたちも胸張って言える。一曲一曲歌詞を読みメロディをなぞり直しながら、改めてそんなふうに思ったのでした。

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