来来来世計画。

終活ノートも作り(WI-FIの解約や定期購読の解約について、友達への伝達やお葬式について、貯蓄のありかやおすそわけしたいひとについてなど)、追悼アカウントの管理人も決めて、死ぬ準備をすっかり終えてから考えるのは来世のこと。
(ちなみにいまのところステージのわりに医者が驚くほど治療が順調で2割の治癒に入る見込みも期待していい状態だけど)

来世はイケメンならおとこがいいなあ。と妄想してみる。
サッカーが上手で、慶応ボーイでイケメンで、女の子にモテモテで時に女を泣かせてみる。
実に楽しそう!!!

と思けどなんか大変そう。

サッカーの練習もおんな遊びもつねに能動的で努力が必要。人の恨みをかったら後始末もたいへんそう。そんな消費カロリーの多い生活はやっぱりごめんだ。

それにひきかえ女は楽だ。絶世の美女でなくてもある程度「女子」という感じさえすれば大事にしてもらえるし、勉強もスポーツもたいしたことなくてもかわいがってもらえる。
女は若さと言うけど意外といまどきは40代でも女扱いしてもらえるいい時代になった。
やっぱり女でいいや。

出会うならどんなひとがいいか。

自分を完璧に理解してくれる人格者。やなことはひとつもなくて自分をあがめてくれて理解してくれて、とてもいごこちのいい時間だけをすごす。

どうせなら自分も今の自分よりもハイクオリティがいいからこんな感じはどうか。

ミスコンで優勝するくらいの美女で、職業はモデルかアナウンサーか宝塚の女優。周囲には完ぺきな理解者と人格者がつどい、自分をあがめてくれる。豪邸に住み、これまた完璧な人格者の夫と優秀な子どもいていやなことはひとつもない。

う~ん。楽しそうだけどちょっと完璧すぎてつまらない感じもする。
変化とか成長がないよな。
完璧な人格者ってそもそも愛すべき存在と言う感じがしない。

そもそも今出会っているひとたちってどんなひとたちだっけ?
やさしさはあれど、傷やおろかさもあって、時に傷ついたり傷つけたりしながら頑張って生きているひとたち。な気がする。
愛をもとめながらときに間違ったことをして、それでも周りに期待をして、ときにこわごわ、それでも絆を求めてやさしさやおろかさを行ったりきたり。愛ややさしさをやりとりできたときはささやかな喜びを感じる。そんな人たちだ。

もちろん傷ついたこともあるし、あいつ許せねえ!というひとも残念ながらいる。
でもその許せない人って完全な悪かと言うとそうでもなくて、たんに「交渉決裂」しただけでおそらく根本はやさしさを欲しているひとなんだろう。と思える。

出会いたくないのは「本物の悪」だ。
友人は幼いころから性犯罪にあっていていまもそのトラウマに苦しみ怨念を飛ばしながら生きていると言っていた。
そういう「本格的な悪」には出会ったことがない。それは感謝すべきだし来世も絶対に会いたくない。

そうなるとこんなのはどうか。
完ぺきではない自分が完ぺきではない人たちと出会い、時に傷つけたり、傷ついたりしながら、許す心を学び、傷つけた自分を反省することを学び、辛い中でも切磋琢磨しながら心を磨き、やさしさとは何かを学ぶ。

いいねえ。これでこそ出会いの意味っていうものがあるじゃん。

ってコレ今のわたしじゃん??


そんなこと今世宣言したら来世また大変だよ?

モデルの志保みたいな人生がいいんじゃなかったけ?滝川クリステルみたいなのをリクエストできるのは今のうちだよ?!!
と思うけど、やっぱり「たいしたことない自分が不完全なひとたちと出会いたい」みたい!!なら今世、まだやり残したことはある気がするなあ。
それに完ぺきな人生なら浮世ではなくてむしろ天国に行っちゃった方がはやいわね。

浮世はきっとつらいこと、かなしいこと思い通りに行かないことも、本当は望んでそうなっているのかも。そしてそれは愛すべきことなのかもしれないね。来世計画はやはり要領よくは生きられない人生を選んじゃうのでした。バカだねえ。

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