ひらめきの構造

「思い付きならやめときな」


これは私が社会福祉士をとろうと思ってとあるスクールに話を聞きに行ったとき校長に言われた言葉である。
たしかに熟考したわけではなく、ひらめきてきにとりたいと思った資格である。

しかし、その後、国家試験に合格し社会福祉士としてあしかけ15年は勤務していて仕事にはおおむね満足している。

あのときの意地悪校長に今の姿をみせたいがもうこの世にはいらっしゃらない年齢かと思うので見返すことはできなかったが。

しかし、ひらめき、おもいつき、ひとめぼれ、これらは本当に軽率な行動なのだろうか。

わたしが社会福祉士になりたいと思ったのは、第一希望であったマスコミに就職できず、派遣社員や事務職で腐っており、この状況からの脱却は嫁に行くか、資格を取るか、の2択しかなく、当時は婚活ということばも世間になく10年も女子校にいて男友達の一人もいなかったので資格でもとるか、と資格の本をぱらぱらとめくって決めたのである。

そんな決め方では合格率30パーセント未満、大学での学び直しも必要なそこそこむずかしい試験になんか受からないだろうと思われて当然である。

しかし、分厚い資格の本から社会福祉士がいい!と思ったのである。
行政書士や歯科衛生士、社労士などもっと条件や収入がよさそうな資格がずらりと並ぶ中、これだ!!と思ったのである。

母に「社会福祉士取りたいからもう一度大学に編入させて」と頼んだ時
「そういえば、むかしから、ナース物の少女漫画好きだったわよねー」
と言われ、はたとそのことを思い出した。
そういえば、医療系のヒューマンドラマの漫画が好きで、当時流行った「折原みと」という作家の「時の輝き」という本でソーシャルワーカーという言葉を初めて知り、ときめいたのを20年ぶりに思い出した。
俊足でいろいろ忘れていくわたしがその漫画だけは、題名や登場人物の名前、ストーリーを今でも言えるくらいである。

そして5歳の時から子どもが好きで3歳のお部屋を見に行っては「子どもはかわいい!」と面倒を見て「あなたも子どもやんけ」と突っ込まれているくらいの子ども好きであった。
社会福祉士に「ひとめぼれ」して「児童福祉」に決めたのは二十数年生きてきた集大成がつまったような「ひらめき」であり、決して「軽率」ではなかったのだ。

むしろ「マスコミ」を希望していた時のほうが、「父の仕事を見て」とか「給料もよく自由そう」とか他人軸に左右されていたと思う。

「はたと思いついて」「なんとなく」やりたくて。
それは決して軽率ではない、本当はあなたらしさがつまった決断なのかもしれない。

そんな風に思って、ピンときたそのこころ、ぜひ無視しないでほしいなと思う。

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