ヤナと二つの異世界~『シブヤで目覚めて』をめぐる知的冒険~

 アンナ・ツィマ作『シブヤで目覚めて』(阿部賢一・須藤輝彦訳、河出書房新社 2021年)には、主人公である大学院生ヤナが暮らす現代のプラハのほかに、時空を隔てた二つの世界が登場する。一つ目は現在から数年遡った渋谷。そして二つ目は大正時代の日本である。

 一つ目の“異世界”である渋谷には、旅行者として来日中の17歳のヤナから分裂した彼女の「思い」が閉じ込められている。ヤナは日本に恋い焦がれるあまり、その「思い」を渋谷の交差点に置いてきてしまったのだ。ヤナの「思い」は、ファンタジー映画のヒロインよろしく渋谷で冒険を繰り広げ、八面六臂の活躍を見せる。渋谷を浮遊するヤナはしかし、メリー・ポピンズよりはだいぶ皮肉屋で批評家精神にあふれているので、文字通りのファンタジックな甘ったるさとは無縁であり、適度に辛口なところが実に清々しく痛快である。面白いのは、元は同一人物であるにもかかわらずヤナの「思い」とプラハのヤナとの間に全く接点が無いことだ。後半部分でプラハからの留学生クリーマに出会うまで、渋谷のヤナはプラハに戻った自身のその後を知らないし、プラハのヤナは「思い」の存在すら認識していない。

 プラハのヤナと密接に関わるのはむしろもう一つの異世界、大正時代の日本の方である。渋谷に入り込んでしまった「思い」とは異なり、生身のヤナは決して大正時代へタイムスリップするわけではなく、あくまでもプラハに留まりつづけるのだが、博士論文の研究対象として選んだ作家・川下清丸について調べてその作品を翻訳するうちに、図らずも大正時代の日本を蘇らせてしまうのである。作家事典にたった数行紹介されているに過ぎなかった川下の小説を、ヤナは少しずつ丹念に翻訳していく。すると、川下の作品とその生涯、そして彼の生きた時代が徐々に色彩を帯び、輪郭や肉体までもが紙面上に浮かび上がってくるのだ。ヤナが翻訳する過程を覗き見ることになる読者は、翻訳の進行に導かれて川下の作品世界にどんどん引き込まれていってしまう。さらに彼の生涯にまつわる謎解きのスリルが知的興奮をかき立てるので、本作の読後には思わず「川下清丸」をネット検索したい衝動に駆られるほどである。「川越出身で横光利一の友人」という絶妙な人物設定もさることながら、主人公の翻訳を通して読者が川下の作品を熟読するように仕向けられることが大きな効果を上げていると言えるだろう。

 思うに、川下清丸とヤナの関係は、やや唐突な例えではあるが、能楽におけるシテとワキの関係に相似している。ワキは単なる脇役ではなく、現実世界(客席)と異世界(舞台)の境界線上に身を置き、現実世界のいわば代表者として、シテが演ずる霊魂や精霊など異世界の住人たちの話に耳を傾け、舞台上の一切の出来事を受け止めて、最後にその霊魂を慰める役割を果たす。ヤナもまた、翻訳という作業を通じて現実世界と作品世界との境界に立ち、川下の声に耳を傾け、その生涯を詳らかにし、研究成果という形にまとめ上げる中で作家の存在に光を当てて慰めてゆく。このように考えてくると、最終盤で川下が生きた世界とプラハのヤナの世界が渋谷へと流れ込んで邂逅し、天の羽衣のごとき奇蹟が大正時代からヤナへともたらされるのも、別段不自然なことではないと思えるのだ。

 以上のように本作は、ファンタジー小説としてももちろん十分楽しめるが、研究者と研究対象との翻訳を介した濃密な交流を軸とする一種の知的推理小説としても堪能できるし、主人公たちの恋愛模様や文学史的趣向も加味されているので、多様な楽しみ方ができる多面的な作品となっている。日頃ファンタジーを読まない、ファンタジーはちょっと苦手、という人にこそぜひ手に取っていただきたいと思う。

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