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ハレとケでいうならば、ケの日

つまり、何も作らず学食と購買で三食賄った日。
課題に追われてお尻が熱い日、とも言う。

尻は熱いが外はめっきり寒くなった

上のイラストはTOMOさんの「文章中に使えるライン」です。シンプルな線なのにほっこりかわいくてお気に入り。

さて、そんな貧相な食生活下で何をやっていたかと言うと、食中毒。
いやさすがにリアルに作っていたわけではなく、演習のプレゼン課題です。
とりあえず明治~戦前の新聞記事から食中毒の事件を拾い集めてきました。

件数としては、もうダントツで「ふぐ」が1位。ふぐ調理師免許なんてなかった頃です。釣ったものをその場で食べてあたったり、持ち帰ってお裾分けした結果ご近所一帯がやられたり、魚屋が余り物を食べて死んだり、日本人どんだけフグ好きなんだ、と。まあ、縄文時代の遺跡からフグ骨と人骨が一緒に出てきている(ので、フグ中毒で死んだ人の骨では?と言われている)ぐらいですからね……

で、2位はなんだと思いますか?
明治の初期(20年くらいまで)フグに次ぐ頻度で食中毒の原因物質となった毒があります。

お菓子の着色料。

記事では「緑青」(銅のサビ)と表示されていますが、これは銅の精錬時に不純物として残っていたヒ素、もしくはその化合物である亜ヒ酸銅由来の毒性であった可能性が高いです。いや、そっちの方がヤバいですけどね。団子、菱餅、飴細工、色々なお菓子が緑色に染められ、ヨモギを使わず緑青で染めたヨモギ餅や、他の色を出すために絵の具で着色した菓子なんていう恐ろしい物もあったらしいです。

さすがに政府も鉱物系の着色料の使用を法で規制するようになり、次第にお菓子の中毒自体は減っていきます(代わりに使われたタール系色素もまた問題のあった添加物なのですが、その話は長くなるのでまたの機会に)

なので明治全体で見ると2位はキノコ。大正時代になると流通の発達のせいか、フグ以外の魚介類(カニ、サバ、エビなど)が増えてきます。「シュークリーム」や「アイスクリーム」の食中毒なんてのもこの頃から出てきたもので、食の洋風化の傾向がよくわかります。大正末期から昭和に入ると、仕出弁当の食中毒が急増。人が集まる場が増え、弁当業者も増えた結果でしょうね。

と、しゃべるだけで済ませられれば楽なのですがそうもいかない。スライド作って、画像探して、どんな発表も分析と考察がないと評価されないのでそこも考えないといけません。締切は来週月曜お昼の12時。サゴヤシの研究もしたいし杏仁酥も焼きたい。サバグラタンも作りたかったのに、当分地味ご飯が続きそうです。

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