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ないものねだり

生きていると、あぁないものねだりだと分かるけどこうだったらいいのになと思うことがしょっちゅうある。

例えば自分は日々生きづらいなと思いながら生きているけれど、世界一不幸ではないなとまた同時に思う。自分より恵まれない環境に生まれた人や日本より大変な状況にある国で生きる人、毎日を乗り越えるのが当たり前じゃない人がたくさんいることも知っている。

だけどそれが時々自分を苦しめる。こんな、親に頼って家事もしてもらってるし、バイトの周りの人も親切で悪くない環境で好きなことをしているのに、なぜこんなに生きづらくて、もっとつらい人もいるのに死にたいとか思っちゃうのかな(今は死にたいって思ってないから大丈夫)って。

誰がどう見てもつらくて大変で、それこそ「世界一不幸」だったら。それはきっと自分には想像できないくらいのつらさなんだ。でもそれならいっそ諦めもつくのにな。

もっとつらい人もいるのにこんなことでつらいって思っちゃうのがつらい。

誰かに「あんたよりつらい人はいるんだから頑張れよ」って言われた訳じゃないけど、自分でそう思う。感情なんて比較できるものではないのだから、つらければつらい、でそれでいいのに。

今「正欲」っていう小説を読んでて途中なんだけど映画も見て、そのなかで男性が苦手で恐怖で恋愛経験もなくて、でも恋愛対象は男性という女性が「異性愛者であるばかりに、色んな選択肢があるばかりに自分は理解されず繋がりを誰とも築けない。ならいっそ(最近理解され始めている、ように見える)LGBTだったらよかったのに。」みたいなことを思うところがあって、それってすごく分かるなあって思った。

もちろん性的マイノリティの方々にはその方々にしか分からない苦しみがあるのは分かる。だからこんなことを言ったり思ったりするのは失礼だと分かってる。ごめんなさい。でもその苦しみは分からない。分かるのは異性愛者として、マジョリティの中の自分の苦しみだけ。

マジョリティの中の苦しみっていうのは、ここで言えば「なぜ恋愛対象は異性でそれが多数派で抑えるものはなにもないのに恋愛をしないの?」という圧力を感じてしまうこと。確かに一見マジョリティに見えるけど、実際には自分だけの苦しみを持っていてそれが絡み合って恋愛においても躓く。

人間は本当に他人のことはなにも分からないんだと思う。想像することはできてもそれは自分の経験を通してのもので完全にその人が感じているものではない。だからないものねだりをしてしまう。

手に入れればまたそれを手にしたからこその苦労に気づき、またないものねだりをするし、過去を振り返ってそのありがたみに気がつきもする。

現実はどうであれ、苦しいのは絶対的な事実なのだから苦しんでいいはずなのに、こんなので苦しんで甘えてるんじゃないか、とかこんなことで悩んで意味分かんないって思われるんじゃないかとかそういう人目を気にする冷静な自分が、世界一不幸になりたいとかマイノリティになって同じ苦しみを持つ人とせめて繋がりたいとか思わせているのだろう。

だけど感情に「だめ」とか「おかしい」なんてない。こう思っちゃだめだとかってきっとないのだと思う。つらい、にはそれなりに理由がある。その感情によって誰かに迷惑をかけることがあればそれは犯罪だったら抑えなきゃいけないのかもしれないけど、感じること自体には「悪」はない。

だから世界一不幸じゃなくても死ぬほどつらいと思ってもいい。

ほしいものを手にしたら、望んだ通りになったらそこにはきっとまた別の苦しみとか新しい欲求とかがあってそれがつきることはないから。

見えてる良いところ、例えば世界一不幸になれば周りからそのつらさを正当とみなしてもらえること、性的マイノリティなら同じ悩みを抱える人との繋がり、それはそのものの本当に一部でしかなくて、そのかげには想像もつかないくらいの苦しみ、つらさがある。

だから簡単に、その立場を知らないで「こうだったらいいのにな」とか「あなたはいいよね、こんな苦労も知らないで」とかは言わないほうがいい。

分かってるんだけど。

誰かに正当化してもらわなくてもつらいと思っていいし、自分だけの苦しみだと思ってもたくさんはいないとしても理解してくれる人と繋がりを築くことはできるんだろうってことは。

でもなんだか自信がなくて肩書きがほしかったり、自分はひとりぼっちだと塞ぎ込んだり。なかなかやめることは難しいね。

分類できない苦しみのなかに実はみんなそれぞれいるのかもしれないね。




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