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閲覧注意

つらいことがあったとき、それを相談できる人がいないと知る。もしくは聞いてほしいその人が、全く聞く耳を持たなかったら。

それはつらいことそのものよりももっとつらいことだなあと思う。

誰かにひどいことを言われても、寄り添ってくれる、頼れる存在があればどれだけ救われただろう。

私はバカだ。何回試しても、聞いてくれないと分かっているのに。もしかしたら今日は聞いてくれるかもしれないと思ってしまう。

それならいっそのこと本当にひとりになりたいとすら願う。

心配してるんだよ、なんて言葉をかけられても、そこに本当に心配がないなと分かってしまうとき、その「心配してるんだよ」は暴力でしかない。

元気なときしか肯定されないのなら、生きていくことなんて不可能じゃないか。

ネットで「死にたい」とか「楽な死に方」とか調べて出てくる「その悩み打ち明けてください」という優しい言葉たち。

でも、分かってほしい、味方でいてほしい人にそういてもらえないつらさは多分、解決できないと思う。

どれだけ強く死にたい消えたいと思っても、結局はそれすらも怖くて勇気がなくて、でももう仕事の日は来ちゃうし、働かないと生きるためのお金を得ることはできない、いつまでも落ち込んでいることは許されない。

この悲しみ、つらさを乗り越えるには死ぬしかないのではないかと考えてしまう。

生きているだけで偉いとか言うけど、でも実際生きているだけじゃ生きていくことはできない。

いつも見えないふりをしている孤独を目の当たりにした時、もうどうすればいいのかわからない。

頑張れば、変われる。努力すればアダルトチルドレンじゃなくなることができる。それは分かってる。でももう頑張りたくない。

今までだって多分頑張ってきたのに、それで普通レベルにすらなれない。このまま頑張っても、普通にすら届かない妥協した「自分なりの幸せ」とやらにたどり着けたとしても、私は自分の人生を失敗作だとしか思うことができないと思う。

人生を消化していくように諦めたように進めていくことは私はできない。楽しくなく流れていく日々を死んだように生きるのなら、死んだ方が、って思う。

理想が高すぎて、自分は本当はできるんだ、って潜在能力に期待しすぎてて笑う。普通になれないなら何かしら非凡なものがあると信じて諦められない自分がみじめ。

産んで後悔されてても文句は言えないね。私も、産まれてきたくなかったよ。

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