ナチュラルランニングのすすめ
レースのみが楽しみで走っていた時期があった。
20代半ばにいきなりフルマラソンを完走してから本格的にランニングを始めた。1980年代半ばのことである。
ランニングに速さのみを求めることにピリオドを打ったのは、ウルトラマラソンのトレーニングで走りながら旅をすることがきっかけ。1990年代初頭のこと。
スピードを求めなくても、ゆっくりであっても、長く、遠くまで走ることができれば楽しめる世界があるということを知った。
ゆったりまったり走る中で見えてくる風景があり、感じられるものがることに新鮮な驚きを覚えた。
「人生はLSD」(=ロングスローディスタンス:時間をかけてゆっくりと遠くまで走る)、そんなアピールもし始めるようになった。
誰だっていつまでも若くはない。
やがて体力が衰え、スピードも落ちて、レースを走ることに楽しみを見いだせなくなる時が来る。
その先には、気力も衰え、走ることから離れざるを得なくなり、ランナーでなくなる可能性だってあるだろう。
個人的には、時間の制限も関門もない、決められたコースもない、好きな時に好きなところを走るのがいい。五感をフルに使って感じられるものをフルに吸収することができればなおいい。
できるだけ人工のものがない、自然のフィールドを走るのがいい。
誰かに走らされているのではなく、自分の脚と意志で、気の向くまま足の向くままに、一本の道を二本の脚で走るのがいい。
50代でフリーになり、アドヴェンチャー・ランナーの肩書で国内外約2万3000キロを走ってきた。二本の脚を移動手段として、旅のツールとして使うことの楽しさや面白さをいろんなところで語ってきた。
昨年、還暦を迎え、走ることをなおも楽しんでいる今もその思いは変わらない。
むしろ、走ることと歩くことは、移動しているという点に関して何ら差はないのだということを今、見出しつつある。
一本歯下駄と出会ってからその傾向はなお強まっている。
速く走ることにこだわるのも結構。限界にチャレンジしたくなるのもまた自然なこと。
ただ、それもいずれは、ウルトラマラソンのように長い距離を走ったり、山野の中を走るトレイルランニングに変わったりしていく…それもまた自然なことだと思う。
いずれにしても、スピードよりも楽しめる要素をランニングに求めるように変わってくるはず。ランニングの質(QOR=Quality Of Running)を高めることが価値あるものになるからだ。
ランニングとは本来、科学やテクノロジーとは無縁な、自然なものであるはずだった。少なくとも文系人間の私にはそう感じられる。
デジタルツールを持たず、時間や距離・ペースのことなど忘れて頭を空っぽにして、大空の下、大地と、風と、一体感を感じるような走りを求めよう。
心と体と環境に優しいエコな走りを楽しもう。
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ことごとくマラソン大会が中止となってしまってテンションもモチベーションもガタ落ちのランナーの皆さん、純粋に走れる歓びを今一度思い出すべく、時間も距離も、ペースも頭から消し去って、足の向くまま、気の向くままに走ってみませんか?
今日も、明日も、記録よりも記憶に残る素晴らしいランを…GOOD楽駆(ラック)!
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