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私たちの新しい物語を紡ぐ〜稲の多年草化栽培*それは野生に還る新たな旅。

「耕作放棄地を耕す」という有志のグループの仲間が松山から東京にやってきた。理由は相模原で今、静かに注目を浴びる「稲の多年草化栽培」の実験を重ねてい小川誠さんの圃場の見学会があると。以前から私も興味を持っていて、小川さんの著書を読み、いつかこの圃場を見てみたいと思っていたので、即、私も参加すると決めた。

「自然の理に沿うことで、自然の力を最大限に活かす」という目線で「なごみ農」をうたう小川さんはまさに「和みの農夫」という空気感で、自然界と相思相愛な人、という印象。

私たち夫婦の稲作の師匠でもある、故稲葉光圀さんと同じ空気を纏われていて、とても懐かしい気持ちになった。

国立の家から車で約1時間。相模原の小川さんの圃場は今は新興住宅地となった里山の麓にあった。

この辺りは長い長い年月を経て3度ほど隆起し、段丘崖(だんきゅうがい)という地形から流れ落ちる水が豊富に流れる地域で、かつては田畑がもっと広がっていたのだろうなと容易に想像ができる。

1反6畝の田んぼは6〜7枚くらいに別れていて、それぞれに「実験」テーマがあり、小川さんの好奇心に満ちた試みがなされていて、多年草化した稲の可能性をじっと見つめている様が現れていた。


7月半ばにしてもう出穂!


その試みについて、一枚一枚を移動しながら、丁寧に小川さんが説明してくださる。それは、教科書をなぞるような学びではなく、自然界が見せてくれたことを少年のように好奇心と共に探求していった経験と、彼の生き物に対優しい目線が発見してきたその経験からのお話。聞いているだけでワクワクするし、希望や可能性が私たちの中に芽生え育っていく時間だった。

多年草化する稲の棲家とは。

圃場は不耕起栽培。
耕さず、土中環境を守りながら、微生物、イトミミズなどの生き物たちとの共生の中で作物を育てる栽培。

田んぼの場合、冬の間も水を絶やさず入れておくことで稲作に適した生態系が育っていく。

その場に適した生き物が集まり、それぞれの役割を担うようになる。

耕作放棄地もある意味「自然のまま」だけど、この田んぼとの違いは、やはり「人の関わり」があるということ。

人が手を加え、外枠を整え、「稲を育てる」という意図を加えることで、そこに生きる生物たちが協力体制に入る。

だからこその「共同創造の場」となる。

小川さんの圃場では、絶滅危惧種のホトケドジョウやエビ、無数の小さな生き物たちのほか、銀杏ゴケ(これもまた絶滅危惧種)など、この土地、この田んぼを好む生き物たちが生息し、それぞれの仕事をする中でこの稲が育っている。

すでにこれまでの蓄積があることもあり、小川さんの田んぼには立派な稲の足元にはほとんど草が生えていない。。。

その立役者はイトミミズ。

イトミミズが稲刈り後に撒かれた藁や米糠をパクパク食べて、たくさんフンを出してくれることで、水面と土の間には『とろとろ層』と呼ばれる堆積物が5センチも貯まっていて、草の種を太陽の光と酸素から遮断してくれるので
地表にある種(30年分もあるらしい)が発芽しないというメカニズム。

トロトロ層はサヤミドロという


チラホラあるクレソンは、ちょっとおしゃれでいいでしょ^^と、小川さん。我が田んぼとは草の種類が全く違うことも合わせ、不耕起栽培で草が生えない、という事実を目の当たりにしてますます好奇心が湧いてきた。

草が無い!

稲の多年草化とはどういうこと?


稲が多年草化していくこととはどういうことだろうか。
それは、稲の再野生化ということ。

そもそも稲は多年草であり、それを人間が収量を上げ、効率的に生産していくために改良していき、結局、一年ごとに種子から育て刈り取る方が収量と効率性という方法が定着したのが今の一般的な稲作。

そして、そのために毎年耕され、化学的な肥料や除草剤などの突入により、生き物の多様性が崩れて、稲が野生化できる環境じゃなくなってしまった。

大量生産が求められる中、農家さんたちの重労働を考えればそれも仕方ないことと思う。なのでそれを否定するわけではない。ただ、小規模で自給の範囲での稲作ならば、そこを求める必要はない。

小川さんはじめ、これまでの自然農の試みは効率性と生産性を第一優先にする流れを遡り、耕さず、化学肥料や農薬を使わず、人間は感性と知恵を働かせ、手を使いながら作物が成長しやすいように協力するというところを歩んでいる。

それは、生き物たちにとってのパラダイスを生み出して、そんなご機嫌な圃場の中で稲もまた本来の自分を思い出していったのかもしれない。

いのちのDNAは人間の計算や計画よりも強固なものなのだと思う。

病を超えてさらにたくましく


小川さんの圃場には、今年種蒔きした0歳の苗から五歳の株までが育っていて、年長の株たちはまさに畏怖堂々たるお姿。

100本を超える茎を増やし、中にはランナーを伸ばして子株、孫株が出来ているファミリー株も。こんな稲の株は初めて見た!

驚いたのは、一枚の田んぼで一歳の株が『いもち病』にかかるも復活。

2年目はさらに広範囲に『いもち病』になるも、再び復活し稲穂を実らさせたという。

小川さん曰く、病にかかる度に生命力が強くなってきましたと。目の前に広がるその田んぼの稲は青々としていてしっかりと根を張っていた。

度々のいもち病から復活蘇生した多年草の稲たち

エルダーに学ぶのは人間も稲も同じこと!


もう一つ面白い実験がなされていた。

多年草化した株はDNAが呼び覚まされてその可能性を広げている。その叡智を、おそらく若い株は学んでいるようだと。

つまり、年を追うごとに、多年草化する株がふえていくのだそうだ。

その伝達する力を明らかにするために一枚の田んぼには、5歳から0歳の苗を混在させている。その圃場の中にはいくつもの株が前途のようにランナーを伸ばして子株、孫株が育っているエルダーの株があった。大きく育った株の周りに開いたところにランダムに今年の苗、2年目の株から株分けされた苗などが植っている。

多様性と多世代の混在は稲の野生を目覚めさせている。

多世代田んぼ。棒の先に色分けしたシールで
年代がわかるようになっている。


これ、人間の世界でもきっと同じ。同じ世代、同じ仕事や志向の人たちと
ともにいるのは楽チン楽しいかもしれないけど、色んな世代、志向が
混在する世界の方が人間としての幅も経験も増えて、しなやかで寛容な
逞しさを身につけられそうだ。

たった一つ、その野生に繋がることを忘れさえしなければ。

というか、それを思い出すことができれば。

稲の多年草化が語る新しい物語


稲の多年草化栽培はまだまだ未知と可能性に満ちていて、ワクワクする。

この方法ならば農家にならずとも自給自足も可能になると思う。
私は人間の幸福の基準は「適正規模」だと思っている。
私たちの命は全てと繋がっており、揺らぎの中で微妙なバランスを持ってこのガイアを創造し、育て、そして保っていると思う。

なので、過度になったものは鎮められ、低迷しているものは活性化していく。恒常性という自然のことわりの中で私たち人間はじめ、あらゆるいのちは互いに生かし合っているのだ。人間が独創して自然界を食い潰していけばそれなりのバランスをガイアはとっていくことだろう。

「適正規模」を見極めるためには愛と知恵。そして、全体性への眼差しが必要だ。それは、私たちが本当の意味で幸せになれる鍵なんじゃないかなと思う。

小川さんの提唱する「和み農」はそんな心を感じる試みだ。

『和み農』の指針とは『循環と共生』

心の波動を大切にする。
土と和み
生き物と和み
作物と和み
環境と和み
人と和み
機械とも和んで
技能を磨く。
そして、
神への祈りから始めて
神への感謝で終わる。
目指すは『全ての生き物との共生』

我が家も来年はまず、不耕起栽培に再チャレンジすることにした!!

ご興味ある方はぜひ小川さんの
著書を読んでみてください。

https://shin-daikazoku.sakura.ne.jp/hatakekensyukai/?page_id=26


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