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「勇気がない人は悲観主義。勇気がある人は楽観主義。リスクをわかった上で、楽観主義を選んでいるのだ」

勇気の有無

勇気の有無は「楽観主義か悲観主義か」で判断することもできます。

アドラーは言っています。
「楽観主義者は、性格の発達が全体としてまっすぐな方向をとる人のことである。彼(女)らは、あらゆる困難に勇敢に立ち向かい、深刻に受け止めない」

「悲観的な世界観の勢力範囲の中で、、彼(女)らのまなざしは、常に人生の影の面に向けられ、楽観主義者よりも、人生の困難を意識し、容易に勇気を失う」と。

まさに勇気がある人は楽観主義勇気がない人は悲観主義であるわけです。

高校時代は悲観主義

高校生の時は、「うちは貧しいから、どうせ大学には行けない」「大学に行けないなら、勉強しても無駄」などと、自分の進路についてはとても悲観的に見ていました。

そして、勉強もせずに部活に没頭するという、勇気がない高校時代を送っていました。

社会人になってから楽観主義

社会人になってからは、できないことを考えていても、何も前に進まないことを学ぶことができました。

なので、どうやったらできるのかを仲間と共に考え、導き出した方法で努力し続ければ、目標を達成できると考えられるようになりました。

仮に、目標を達成できなくても、一度目標を完了させて振り返りを行い、そこでまた、どうやったらできるのかを仲間と共に考え、導き出した方法で努力し続けることを繰り返すことで、目標の達成を目指しています。

この方法だと、間違いなく目標に近づいて、いずれは目標を達成できると考えています。

アランの幸福論

アドラー派の仲間たちは、アランの幸福論にある一節を好んで引用します。

「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである」

私たちは何もしなければ、ついつい悲観に流されてしまいます。
そうではなく、意思を持つのです。

意志を持って楽観を選ぶ。

すると「勇気、率直さ、信頼、勤勉などが発達していく」とアドラーは述べています。

意志を持って、楽観主義をえらぶこと。

それが勇気のある人になるための方法なのではないでしょうか。

悲観主義に流されず、勇気を持って楽観主義を選ぼう。


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