「判断に迷った時は、より大きな集団の利益を優先することだ。自分よりも仲間たち。仲間たちよりも社会全体。そうすれば判断を間違うことはないだろう」
人は誰でも間違いを犯す
この世に完璧な人間など存在しません。
誰もが間違いを犯す可能性があるし、実際に間違うこともあるでしょう。
問題は、その時どのような対応をするかということです。
自分が可愛い
私も例外ではないですが、人は何か間違いや失敗をした時は、まず自分が不利にならないように行動しがちです。
そう、自分が可愛いのです。
でも、共同体感覚では自己中心的な考えは否定されます。
そもそも共同体とは何か
共同体感覚における共同体とは、ある特定の組織を指しているのではなく、抽象的な概念でしかありません。
ですから、それを日常に当てはめて具体的に考えた時に「自分個人よりも会社を優先すればいいのだろうか?」などと迷いが生じる時があるでしょう。
しかし、抽象的概念である共同体は会社だけでなく、家族や地域社会、さらには国家や世界、動植物を加えた宇宙などにも当てはまります。
そして、それぞれの利益を考えた時、答えが異なってくることがあるでしょう。
自社製品に不具合が発生したらどうする?
例えば、自社製品に不具合があった場合、それを広く社会にオープンにして回収すれば、企業には一時的に大きなダメージがあるでしょう。
改修費用や在庫廃棄による直接的な損失に加え、信用の失墜もあり、売上、利益は大きくダウンするだろうからです。
そこで企業は公開をためらうでしょう。
しかし、企業ではなく、より大きな社会全体の利益を考えれば、少しでも早く事実をオープンにすべき、とすぐにわかるでしょう。
事実を隠蔽したらどうなる?
一時的な損失を嫌って、事実を公表せずにいたらどうなるでしょうか?
遅かれ早かれ、製品の不具合は判明します。
そして、その事実を隠蔽していたことも判明します。
その不具合が、人命に関わるケースだった場合、人命より自社の利益を優先したと消費者に判断され、会社の信用を取り返すことが不可能になり、取り返しのつかないことになってしまいます。
より大きな集団の利益を優先する
このように、個人、会社、社会など、それぞれの共同体における利益・不利益が異なる場合、私たちはより大きな集団の利益を優先すれば判断を間違えることはない、とアドラーは訴えました。
それこそが真の意味での共同体感覚であるのです。
自分一人の利益だけを考えてしまっては判断を間違ってしまうのです。
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