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「勇気がない人は『特別』であろうとする。勇気がある人は『普通』であろうとする。『普通である勇気』を持っているからだ」

特別であろうとする

勇気がない人は「特別」であろうとします。

何の特徴もない「普通」の自分では、他者から受け容れられない(価値がない)と思っているからです。

現在の自分とは違う特別な何かを手に入れなければならないと思っているのです。

「特別な才能があれば」「学歴があれば」「容姿が良ければ」受け容れてもらえる。

特別」という免罪符がなければ生きていけないと信じているのです。

特別になりたかった

私は「特別」でありたいという気持ちは理解できます。

何か人より秀でたものがあり、周囲から注目されたい欲求って、多くの人が持っていると思いますし、私もその一人でした。

私にはアーティスティックな才能はありませんし、運動神経も人並み以下、容姿にもまったく自信がありませんでした。

唯一あったのが、学業の成績がそこそこ良かったことです。
それも、同じレベルの人間が集まる高校では、目標も見失っていたこともあり、さっぱり振るいませんでした。

普通でいい

一方、勇気がある人は「普通」であることを怖れません。

「特別」な何かを持っていなくても、今のままの自分で十分、仲間から受け容れられる(価値がある)と思っているからです。

なぜなら、周囲の人を仲間だと思っているからです。

「普通である勇気」を持っているのです。

ありのままを受け容れる

完璧な人間など存在しないのです。

欠点や不足があるからこその自分であり、それを個性であると受け容れるのは簡単ではありませんでした。

その個性を受け容れた上で、自己研鑽を重ねて自己成長を目指すのだと思います。

そして、周囲の人は、自分の成長を妨げる存在ではなく、自分の成長を支援してくれる存在だと思えるかがポイントだと思います。

特別じゃなくていい、普通でいていいんです。

自分は「特別」であろうとしていないか?「普通」である勇気を持っているか?


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