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「『やる気がなくなった』のではない『やる気をなくす』という決断を自分でしただけだ。『変われない』のではない。『変わらない』という決断を自分でしているだけだ」

刺激と反応の間に「認知」という主観がある

アドラーを源流とする現代心理学には、刺激と反応の間に「認知」という主観があると考えます。
「認知」を解かりやすく色で例えると、ピンクのレンズという認知を通して見れば世界はピンクに、ブルーのレンズという認知を通して見れば世界はブルーになる、というわけです。

出来事をどう「認知」し「意味づける」かは人それぞれである

上司から注意された時に、腹が立つ、という人もいれば、悲しみ落ち込む、という人もいるでしょう。
しかし、一方では「なにくそ!」と発奮する人もいれば、注意されてありがたい、と感謝する人もいるでしょう。

自分の若かりし頃を思い返してみると、上司から注意された時には腹を立てていましたね。でもその後に「絶対に見返してやる!」と、懸命に仕事に向き合っていた事を思い出しました
腹を立てて終わっていたら、今の自分はなかったと思います。その頃はアドラー心理学なんて知りませんから、結果オーライだったというわけです。
運が良かったとしか言えませんねwww

人は思考、行動、感情を変えることができる

もし、注意されたことを「𠮟られたから腹が立ち、やる気がしなくなった」と、「認知」「意味づけ」をしていたら、自分でそれを言い訳にして、上司のせいにしていたことになっていました。

今は、私が部下に対して、すべては自分の選択の結果であり、いくらでも選択を変えることができる、ということを伝えていかなけばなりませんね。


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