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「大きな悲しみと涙は、他者への攻撃であり非難だ。他者を告発する裁判官となることで、相手より上に立つ。しかも、弱さにより、慰めと親切まで手に入る」

怒りと悲しみは同じ?

大げさな「悲しみ」の目的は「怒り」と同じである。
すぐには納得できないかもしれません。

しかし、アドラーは両者の目的は支配である、と言っています。

水の力

アドラーは「涙」を「水の力」と呼びました。

そして、涙に代表される弱さを「弱さは強さである」と言いました。

涙を流す弱者を攻撃することはできません。
その主張を受け容れるしかなくなります。

弱さは相手を支配する最強の武器になり得るというのです。

誇張された悲しみ

またアドラーは、悲しみは「過度に誇張されると、周りの人に対する何か敵対的なもの、有害なものを含んでいる」と言いました。

心の中に敵対的感情を持っており、告発者、裁判官として相手の罪を裁く意図がある「人と人とを引き離す感情」であるというのです。

誇張された悲しみは「援助と慰めと親切を引き出す」ことができます。

無意識にこの感情を都合よく使っている人がいるかもしれません。

意図的ではないが

たとえ意図的ではないとしても、目の前で涙を探されると、こちらは動揺しますし、それ以上何も言えなくなってしまいます。

また、周囲の人からは「どうしたの?」「大丈夫かい?」「こっちに来て少し落ち着いたら?」などど、援助と慰めと親切を引き出します。

そして、涙を流した本人が原告、周囲の人は裁判員、そして私が被告かのようになり、これから罪を裁かれる者の気持ちになってしまいます。

そうやって涙は相手を支配する最強の武器としての力を発揮することができるのです。

セルフチェック

もちろん、ここで述べたような悪意は一切なく、純粋に悲しむこともあるでしょう。

しかし、それが頻繁に激情を持って利用されているならば、さらに敵対的なものが隠されている、と考えられます。

自分の冷静な目でチェックしましょう。

人と人とを引き離す感情を多用する人が幸せになることはないのですから。

使い方に要注意

「怒り」と「悲しみ」の感情は種類こそ違えど、使い方によっては「相手を支配する」ために使われ、その結果として「人と人とを引き離す」ことになりかねません。

今から「水の力」を使おうと思っている人は、一度立ち止まって、相手に対する敵対的な告発になっていないかチェックしてみましょう

そんなつもりじゃなかったのに、では遅いのです。

悲しみと涙を多用する人は、敵対的な告発の意図をセルフチェックしよう。


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