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「私たちは『感情』という得体の知れないものに支配されているのではない。自分の向かう方向や態度に自信がないとき、感情を創り出し、自分の背中を押しているのだ」

感情

「もしも人間に感情がなければ、誰一人結婚する人はいないだろう」

アドラー派の人がよく語るジョークです。

感情は、どこからか忽然と現れる得体の知れない存在ではありません。
自分自身が自分の背中を押すために、自分で創り出し、自分で使っているのです。

恋愛感情

恋愛感情に溺れて告白してしまうのではありません。

告白するために恋愛感情を自分の中で創り出し、高めることで、自分の背中を押しているのです。

怒りの感情

怒りの感情も同じです。

若かった頃の私は、怒りの感情を抑えられずに、相手に対して攻撃的な態度を取ることがありました。

そういったときに、その場を収める言葉として「つい、感情的になって我を忘れてしまいました」などと言ったりします。

しかし、それは怒りという謎の感情に踊らされて攻撃的な感情を相手にぶつけたのではありません。

自分の思い通りに意見を通し、相手を支配するために、怒りを創り出して利用していたのでした。

怒りには支配されていない

「怒りに支配されてしまい、自分でも思いもよらない行動に出てしまった」などど言う場合がありますが、本当に支配されているのでしょうか?

本当はそんな行動とるつもりはなかったのに、怒りという感情のせいでそうなってしまったと、自分も被害者面しているように見えてしまいます。

怒りに支配されているのではなく、相手を支配するために怒りという感情を利用しているのではないでしょうか。

アドラー言う感情

アドラーは感情について次のように語りました。

「人は性格(ライフスタイル)の沿って行動する。しかし、それがコモンセンス(共通感覚)とずれているときに、自分の性格(私的感覚としてのライフスタイル)を押し通すために感情を創り出し、利用する」

行動=性格(方向性)✕感覚(推進力)

感情とは自分の感覚を貫くための行動の増幅装置、ターボチャージャーと言えるかもしれません。

衝動的行動を感情のせいにしてはいけません。

自分で創り出したものなのです。

衝動的な行動を感情のせいにするのをやめよう。


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