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アーカイブ3  渡邉格さんのお話1 脱サラしてパン屋へ (2016年11月19日)

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渡邉格
2008年、夫婦共同経営で、千葉県いすみ市にタルマーリーを開業。
自家製酵母と国産小麦だけで発酵させるパンづくりを始める。
2011年の東日本大震災の後、より良い水を求め岡山県に移転し、天然麹菌の自家採取に成功。
さらに、パンで積み上げた発酵技術を活かし、野生の菌だけで発酵させるクラフトビール製造を実現するため、2015年鳥取県智頭町へ移転。
元保育園を改装し、パン、ビール、カフェの3本柱で事業を展開している。 
著書『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』(講談社)。「菌の声を聴け」(ミシマ社)。

・31歳のスタート

今日は、いいものをたべていい生活をすると世の中がよくなるよ、という静かなる革命の話をしたいと思います。
早速ですが、タルマーリーをご存知の方いらっしゃいますか?
ビール屋さんと、カフェとパン屋を経営しています。
私はオーナーシェフという肩書ですが、対外的にはほとんどCEOは妻だと言われてます。私はいちパン職人として日々頑張っております。東京生まれ東京育ちです。大学にも25歳とだいぶ遅い時に入って、その間ずっとぶらぶらして、嫌なことがあるとすぐに逃げちゃうみたいな、そんな人生を送ってました。
東京での人生、一言でいうと恥ずかしいんですけど30歳ぐらいまで自分で「俺すげえ奴だ」と思ってたんですよ、勝手に。
すげーんじゃないか、いつか誰かが迎えにきて俺を引き上げてくれる、なんて思ってたら、いつの間にか29歳と10か月になっちゃって、あ、違ったんだと思ってサラリーマンになるんですね。
2年間弱は頑張ったんですけど、実際30歳までぶらぶらしてたやつってサラリーマンとして使えないわけですね。
会社でも浮いちゃって病んでるときに、夢でおじいちゃんが「パン屋をやれ」って言ってくれたので、パン屋になる決意をしました。
同時に妻と結婚することになったんですね。サラリーマン辞めて無職なのに「娘さんをください」ってご両親に挨拶に行きました。
貯金も全部で5千円しかなかったんですね。妻にそれを渡したら突き返されました。「いらないから。私が食わせるから」みたいなこと言われて、それもちょっとくやしくてね。すぐにパン修業を始めました。
今でも覚えてますけど、町田の小さな小屋みたいなところを借りてね。妻に「私は会社に行くから、あなたはゆっくり休んでていいよ」みたいなこといわれて、プライドに火が付きました。
その場ですぐにハローワークに行って、「パン職人募集」という店にやたらめったら電話かけて、すぐに就職先を決めたんですね。そのスタートが31歳でした。
5年間弱でしたけれども、一生懸命修業しまして、当時25歳だった妻が美容院代を惜しんで髪の毛も自分で切ってザクザクカットになってるのを見て胸が苦しかったですけどね。
ほんとにお金を使わない生活して贅沢したくなったら親にたかりにいくんですね。母に電話すると「もうあんた、たかられるからやだ」って電話切られたことありますけどね。(笑)それくらい切り詰めた生活を5年間やって、運よくパン屋を起業することになりました。

・タルマーリーを開業

2008年、千葉県のいすみ市というところで自家製天然酵母のパン屋として開業しました。すごい田舎でした。その天然酵母の中でもメインは「酒種」でした。
酒造りの過程でいうと「酒母(しゅぼ)」です。この酒種が縁なんです。
運のいいことに開店した日に雑誌の取材が入って、意外と順調に店の経営が回るようになったんですね。ところが自分の作るパンにまったく自信が持てなかった。「こんなに美味しいパン食べたことないから、ここのしか買わない」と言って3か月通ってくれた人が突然来なくなる、そういうことが繰り返しあって。
またネットで「すごい高くてかたい」、「まずい」、「すっぱい」とかいろんなこと書かれているのにいちいちショックを受けて病んだ時期があります。
パンが高いからいけないんだというので「パンの値段、下げよう」「いいじゃん、もう俺たちが食えなくても」なんて妻に毎晩愚痴ってたら、うちの妻は「絶対に嫌だ!」と言うんです。ブレないわけですよ。彼女に会ったことがある人は多分わかると思うんですけどね。
結局、私は腹を決めてオリジナリティの追求をしようと、まずは石臼の製粉機を買いました。そんな時にナチュラルハーモニーという自然食品店の社長がやってきて「天然菌をやったらどうだ」と言ってもらったんです。
「お前のところの酒種は、麹は天然菌じゃないぞ。麹も天然菌を使ったらどうか?」とおっしゃって。
麹にも天然の菌があるんだと初めて気づいて、それから採取に挑戦し始めたわけです。乳酸菌とか酵母は既に天然ものが採れていたんですけれども、麹菌の採取がうまくできなくて、しょっちゅうなかじと寺田さんに「こんなのが採れたんだけど、どうでしょうか」って相談に行きましたね。
でも2年半やって、千葉では最後まで採れませんでした。なぜ採れないのか、いろいろ考えたんですけれども、お店の周りが梨園で、毎日のようにスプレーで農薬を撒いてるんで、それも原因なのかなと思ったり、6月になると、古い映画の例で申し訳ないですが「地獄の黙示録」みたいなでっかいヘリコプターが、ダダダダっときて、その地域の田んぼに農薬を撒いて帰っていったりするんですよ。
それが原因なのか。それとも東京という大都会から化学物質、汚染物質の風が流れてきているからなのか。あるいは方法が悪いのか。
とにかく採取できなかった・・・。
しかし麹だけは採りたいな、と思っていたときに、311が来まして。
これはもしかして麹を採りにどっかに移れということなんじゃないか?ということで、移住することにしたんです。

・千葉から岡山、そして鳥取へ。

千葉から岡山へ。震災から5月までの二か月の間に引っ越すと決めました。閉店最後の週に寺田さんが来てくれてね。昼の12時に来て夜の12時まで飲みました、二人でね。
いろんな思い出のあった千葉を出て、岡山に行きました。
麹を採るために行くんだからと、水のきれいなところへ。
水を飲みながらずっと岡山の南から北のほうに上がっていって、山に水を汲みに行ける距離で、古民家のある街並みに引っ越すことに決めました。
江戸時代からの古民家なら麹も採れるんじゃないか、という安易な発想もあって、ここに決めたんですけれども、それですぐに麹が採れたんです。
びっくりしました。こんな簡単に採れるんだ・・・と思って感動しましたね。
しかしね、3年間経営したんですけれどもやはり安易に決めたツケが出てくるわけです。だんだん息苦しくなってくるわけです。
一方で、もっと面白いことがやりたい、もっと面白いパンが作りたいという気持ちもだんだん強くなってきたので、よし、じゃあもういっちょと、鳥取県に移転したのが去年。
この3回の移転で、麹菌が降りてくるとか、酵母がうまく発酵するとかの法則が見えてきたんですね。と言っても仮説なので、全然違ってたらあとで言ってくださいね。たかだか9年ぐらいしかやってないパン屋さんがわかることっていうのは意外と薄っぺらいのかもしれません。
菌の法則というところに入っていきたいなと思います。

渡邉格さんのお話 2 菌の法則へ続く

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