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手綱とかゆみ。

二十代、僕は馬に乗ってた。

乳児の頃から動物が好きで、物心つくと、馬に乗ってみたいと思っていた。

お金を稼ぐ年齢になり、海が見える乗馬クラブに入った。

最初に乗った馬は、「プレス」という名前の女性の馬。競走馬をしていたらしい。年をとり、引退。そしてここで余生を送っていた。

僕が初めて乗った時。プレスは跳び跳ね、備品を後ろ足で壊しまくった。僕の中のイメージでは、ナポレオンが進軍してるときの、あの二本の足で馬が立ってるあの絵画。あんな感じで暴れまわった。恐る恐る乗馬の先生に尋ねる。


あのぅ、えっとぉ、こういうのって、よく、あるんですか?

あー、プレスね、気性がけっこう荒いんですよ。だから、好き嫌いはっきりっす。

(えっ!初日でそのプレスに初心者の僕が乗るという僕の気持ちっ・・・)

まぁ、でも、プレスも人選びますからね。逆に素が出せてるんで、いいんじゃないですかね。案外気に入られてるのかもしれないですよ。

(いや、そうだとしても、素って、素うどんみたいに言うけど、ナポレオンだぞ。初心者だぞ。あと備品いいのか。)


乗馬の時、馬がランダムに人に割り当てられる。でもなぜだか僕はプレスに乗ることが多かった。


僕はひとり、草の香りの中、プレスを迎えにいく。
厩舎(きゅうしゃ)は、いつも静かだ。
夕日の中の、古い図書館みたいに。

馬を驚かしてしまわないように、舌打ちのような音を出しながら近づくマナー。

プレスは鼻をならし、草を食む。そして僕をちらりと見る。
悲しいような、優しいような、諦めたような、不思議な目。

行くばい。ほら、顔出してごらん。

プレスは顔を出す。
引馬用の布の手綱をつけ、
僕は手綱を引く。
プレスは黙ってついてくる。

なぁ、ちょっとは馴れてきたと?

こるぱっ かるぽっ かるぱっ

ねぇって。

こるぽっ かるぽっ ぱかろっ


革の手綱を着け、乗馬場に入る。
あぶみに足を掛け、プレスに跨がり、手綱を握る。
踵をお腹に当て、「進む」の合図を出し、徐々に速度を上げていく。

早くなりすぎたら、手綱を親指で微妙に引いて速度を調整する。

手綱に伝わる微妙なテンションを馬は感じとり、右に左に曲がって止まって後進する。

僕は、プレスに手綱や足で指示を出しながら、思う。


ねえ、あんた、ことばわからんのに。

右も左も、止まるも後進も、走る早さも、そんなことほんとは、どうでも良かっただろうに。

よく、覚えたね。

すごいね、プレス。

たぶん、楽しく覚えた訳でもないよね。

すごいよ、プレス。偉い。



言葉って、手綱。




でも、手綱って一方的。

だって僕はプレスに手綱を握られていないから。

僕はプレスの首を優しく撫でる。

手綱以外で、言葉を伝えてみたかった。



厩舎。

手綱をはずすと、手綱で汗ばんだ部分を僕に擦り付けてくる。

痒い。らしい。

ほら、掻くばい。

目を細め、掻かれている感触を味わっている。


言葉って、かゆみ。

いっつも、伝わんない。


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