あの日の女郎たち。
昨日、仕事に行ったところの近くにお寺があり、境内の一角に観音様が祀られていました。そしてその回りにはたくさんのお地蔵さん。お墓でもない、水子供養でもない、なんだか不思議だなぁと思っていたら、どうやらこれらはとある女性たちがひとつひとつ安置していったものらしいんです。
仲間たちが亡くなるたびに、仲間同士で仲間を供養した痕跡らしいのです。
宿場町で栄えた、春を売る仕事の女性たちの塚でした。
日本全国にも同じような塚が築かれているようです。女郎や遊女と呼ばれる彼女たちは、遠方から身寄りもなく売られてきた女性たちがほとんどで、死ぬときも、葬儀があるわけではなく、お寺の境内に投げ込まれてそれで終わり、という最期だったようです。
それはあんまりだ、と仲間同士でお金を出し合ってつつましい葬儀をした名残の塚、なのかもしれません。
小さい頃から、映画のなかでみる花魁や遊女たちのことが、気になっていました。ずっとそこから出られないってどういう気持ちなんだろう。楽しみはあるんだろうか。昔の友達に会いたくなったり、遊びに行きたくなったりしないんだろうか。いろいろなことを考えていました。
先日、父親と電話で話していたら、父親の祖母つまり、僕の曾祖母の話になりました。曾祖母なので明治の生まれ。そして僕が生まれる三日前に亡くなりました。家族たちの間では、あなたはテルばあちゃんの生まれかわり。という風によく聞かされておりました。
その電話で初めて知ったのですが、そのテルさんは、遊女たちの置き屋を切り盛りしたそうです。売春宿そのものを経営していたのか、遊女たちが寝泊まりする場所を経営していたのか、詳しいところはわかりませんが、僕の親族のすぐそばに女郎や遊女たちが存在していました。
テルは、女郎たちとどんな会話をしていたんだろう。優しくしてあげていたんだろうか。故郷のことを聞いたりしていたんだろうか。
現在では義務教育があるので、ある程度の読み書き計算や機械の扱いなどができる人口はかなり多いかと思います。けれど、昔の田舎の農家の口べらしで売られてきた女の子たちは、文字も読めません。計算もできません。手に職がありません。教育がなければ、できる仕事も限られてきます。選べない、逃げられない時代だったんだと思います。
そんな女性たちが葬られた塚。
食べたいもの。客たちから聞く外の世界のこと。いきたい場所。会いたい人。さまざまなものから放されて生きていた女性たちの塚。
見ず知らずの僕が手を合わせたところで、彼女たちはなにも感じないでしょう。あまくて大きなおはぎをお供えしたとて、たべられないでしょう。
憐れんで同情すれば、
わっちらは置き与えられた場所で必死にやってきたんだ。惨めでもかわいそうでもない。必死に生きたんだ。
と、言われそうな気もします。
おはぎひとつでなんの意味もないんだけど、それぐらいしかできない。
それなら僕は、今日をどう生きたらいいんだろう。
あなたの今日は、女郎たちから見ればどう映るんでしょうか。
もしサポートして頂けた暁には、 幸せな酒を買ってあなたの幸せを願って幸せに酒を飲みます。