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かづみ的作句法vol.3:鳥になりなさい

 わたしが川柳を作る際に大切にしている時実新子の教えの一つに、「鳥になりなさい」というものがあります。これは時実新子『川柳 添削十二章』(東京美術)の中にある一文です。川柳は「願望」を書くのではなく、その願望を実現させる場です。つまり「鳥のように自由に空を飛びたい」と思う自分ではなく、鳥そのものになる自分を描くということですね。
 
 これは「事実の報告ではなく、真実を書きなさい」という新子の教えにも繋がります。
 現実では人は鳥になれません。鳥になったと書けばそれは嘘だということになります。しかし、現実のままを句にして何が楽しいでしょうか。鳥になりたいと思った心を解き放つのが川柳を書くということなのです。
 
 この教えをさらに広げて、わたしは作句時には「言い切ること」を良しとしています。現実のわたしは「~かもしれない」とか「~という考え方もありますね」などの、断言しない言い方を好みます。この世で断言できることなど、ほとんどないからです。また、人に突っ込まれた時に、言い逃れできるための保険を掛けているとも言えます。
 現実ではそういうヘタレな心だからこそ、川柳では言い切りたいのです。
 
 具体的に句で見ていきましょう。
 
 かなしみの生命線を深く切る 徳道かづみ
 
 現実に生命線にナイフでも入れようものなら、痛いだけでは済みません。けれど、川柳では切るのです。何故か。次のように作り変えたら、わかると思います。
 
 ◇かなしみの生命線を切りたいな
 
「じゃあ、切れば?」と突っ込みたくなりませんか?「だからどうした?」って言いたくなりませんか?
 
 また、別の句もいじってみましょう。
 
 あたし生涯車線変更などしない 徳道かづみ
 ◇あたしたぶん車線変更しないかも
 
 実際の車の運転ではないことは前提として、人生で自分の主義主張を曲げないでいたい、という句です。前者が言い切っているのに対し、後者では「でも、車線変更することもあるかも…」という弱さが残ります。作者が弱気でいると読者には句意は伝わりにくくなります。
 
 もちろん、作り手の好みがありますので、必ずしもなりきること、言い切ることが重要とは言いません。ですが、こんなこと断言したら何か言われるかな…という迷いがある時には、一旦断言してみてください。それが気持ち良ければ、その句は断言が成功していると考えていいと思います。
 
 最後に、わたしが鳥になっている句をご紹介。
 
 真っ昼間わたしは何も持たぬ鳥 徳道かづみ

#川柳 #現代川柳


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