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アラフィフおやじの夏、青春18きっぷ一人貧乏鉄道旅の振り返り(2日目前半:福知山~小倉)

アラフィフ世代、適応障害で長期欠勤中だった私が、この8月に一大決心をして、青春18きっぷを使い一人貧乏鉄道旅をした時の振り返りです。

よく考えてみたら、もう今は秋なのになぜ今頃夏の話をしているんだ?と、我に返り、タイトルを変更しました。

前回は、1日目、直前の予約で宿泊先を確保できたお話でした。

旅の2日目は、京都の福地山から福岡県小倉までの行程でした。

この日は起床時刻が朝4時。
(前の晩に寝たのが23時過ぎだったので、寝坊しないか心配でしたがちゃんと起きられました。緊張していたのでしょうね。)


4:56福知山発、山陰本線の豊岡行(豊岡駅は兵庫県にあります)の列車に乗るためです。

カプセルホテルから福知山駅までの徒歩移動の途中、その時間に唯一開いていたセブンイレブンに立ち寄り、今日の食事を調達します。

本音では、コンビニではなく、商品価格の安いスーパーで調達したいところですが、生憎この時間にはスーパーはまだ開いていません。

そこで、セブンイレブンでは、最もコスパが良いと思った、6枚切りの食パンを1斤と、カリカリ梅おにぎり1個を購入。合計293円。

これがこの日3食分の食事です。

福知山駅には少し早く着きすぎて、ホームで20分ほど待ちましたが、遅刻するよりはましです。

AM4:39の福知山駅ホーム


車窓からの風景で期待していたもの

この日の行程では、車窓からの風景として以下が気になっていました。
今日は最初の3つについて・・・。

  1. 城崎温泉

  2. 余部橋梁

  3. 宍道湖

  4. 大山

  5. 日本海に沈む夕日

  6. 関門トンネル

1.城崎温泉(兵庫県)

城崎温泉という名前はどことなく聞いたことがありました。

温泉そのものというよりも、小説の名前に「城崎」という地名が入っていたのが学生の頃の記憶で残っていたためです。

その小説は、志賀直哉の短編小説「城崎にて」です。

恥ずかしながら、この小説そのものは読んだことがなかったのですが、この城崎という地名がなぜか強烈に頭の中に残っていたため、実物の城崎温泉とはどのような場所なのか気になっていました。

ちょうど、山陰本線の駅に、城崎温泉駅があるので、その辺りに来れば、車窓から温泉街の風景が望めるかな。と思っていたのですが、

残念ながら、予想に反して列車からは温泉街を見ることはかないませんでした。

実物の温泉街の風景は、こんな感じだそうです。

2.余部橋梁(兵庫県)

この鉄橋には非常に思い入れがありました。

私が中学生の頃、NHKのドラマ人間模様「夢千代日記」という、吉永小百合さんが主演の番組が放送されていたのですが、雪の舞う中、餘部鉄橋を渡っていく列車のシーンがありました。

ドラマのストーリーについては全く分からないのですが、その何とも言えないもの悲し気な、哀愁漂う美しい光景が目に焼き付いてはなれませんでした。

出典:「撮影日報」http://dd51781.blog.fc2.com/blog-entry-572.html

当時の餘部鉄橋は、橋脚部分が赤色のトラス構造で、その色合いがとても美しかったのです。

余部橋梁(1912年 - 2010年)
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%99%E9%83%A8%E6%A9%8B%E6%A2%81)

この鉄橋をイメージしていたのですが、いざ現地に差し掛かると、実物の鉄橋は全く違うものになっていました。

現在の余部橋梁
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%99%E9%83%A8%E6%A9%8B%E6%A2%81)

鉄筋コンクリート構造の現代的な、ある意味どこにでもありそうな橋梁に様変わりしていました。

また、鉄橋が見える地上部から見上げる形で写真を撮影しないと、このような姿は見れません。

列車の中からは鉄橋全貌は見えず、日本海だけが望めます

列車の車窓から見える景色はこの写真のように日本海の風景ですが、これはこれで美しかったです。

今となっては、私が見たかった形状の鉄橋は無くなってしまったため、再びこの地を訪れることはないかもしれません。

3.宍道湖(島根県・鳥取県)

この湖は非常に有名ですよね。

私は以前、仕事で島根県に来た時に、レンタカーで宍道湖の外周の道路を走った記憶があります。

ですが、運転をしながらではじっくりと景色を見ることも出来なかったので、今回列車の車窓からはどんな風に見えるのか楽しみにしていました。

列車の車窓から見える宍道湖

実物の宍道湖です。
ちょっと雲が多めの天気だったので、湖面が白っぽくなっていましたが、湖と言ってもまるで海のようなスケールでした。

このように、過去の記憶に残る風景の今を自分の目で見ることで、時間の流れと、もう昔のあの哀愁漂う風景を目にすることが出来ないという一抹の寂しさを感じました。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。


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