愛の容量と、溢れ出た愛の渡し方

いくらあげても愛が足りないような子だったのにね、と母に言われた。言葉通り、私は幼い頃、愛されても愛されてもまだ足りないと求め続ける子だったらしい。母はベビーシッターをしている私が”この世に生まれた子はみんな幸せになってほしい”と話し、愛を与える側になっていることにしみじみした様子だった。秋に帰省したとき神社でこの話をしてから、いつから私は愛する側にもなったのだろうとずっと考えていた。

考えて、私は愛を貯めるコップがいっぱいになったのだと思った。ひとりひとり愛を貯めるコップを持っていて、それが貯まったら溢れた分を人に分け与えられるようになるのではないかと。私は元々大きなコップを持っていて、それが貯まるのに時間がかかったのだと思う。求め続ける私に母が愛を注ぎ続けてくれたおかげで、私のコップはいっぱいになった。

愛が足りなかった私は今、誰かに依存することも強く愛を求めすぎることもなく、愛することの喜びも知っている。それはきっと幼い頃にあふれるほどの愛を貰ったおかげで、コップの8割くらいが自然と満たされているからだ。だから孤独を感じるときも自分のことは好きでいられるし、コップは溢れやすいから、溢れた分を人に渡すこともできる。幸いにも家族、幼馴染、高校、大学の同期と愛をくれる人は周りにたくさんいる。

2019年は愛をもらうことも渡すこともできたけれど、受け取り方や渡し方が素直でなかったなと思う。愛は見えないからこそ、恥ずかしいけれど素直になるほうがよく伝わる。2020年の愛についての目標はふたつだ。まず受け取るときも渡す時も素直になること。そして先に愛してみることだ。”愛”というと大げさだけれど、大切にされて嫌な人なんてきっといない。だから素直に愛されて、そして新しく出会う人にもずっと知っている人にも、自分から愛を渡す一年にしたい。少しでもその人のコップを満たせるように。

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