見出し画像

バンドブームの終焉について(BSTBS「X年後の関係者たち」感想②)

先日の「X年後の関係者たち」の番組感想文、えらく興奮して書いてるけど、実際は半年前の再放送だったと判明w
いや、記事で言ってることは訂正するようなことじゃないんですけど、本放送時の正月の時に、アンテナに引っかからなかったことを恥じたいというか、なんというか…なにか空虚な気分です。

あらためて記しますが、先月末にのBS-TBSで放送された「X年後の関係者たち」、“バンドブーム”がテーマでした。前回、この番組の感想というか、雑感を「①その派生のきっかけとその流れ」という点に主眼を置いて書いたのでした。
そして、“今回はその続きを書くと”宣言している以上、恥の上塗り的にはなりますが、「②その終焉と功罪」ということで綴っていきたいと思います。

++++++++++++++++++++

①では、その終焉に向かって言った事象の象徴として「イカ天」を取り上げています。ですが実際の崩壊はどのように進んでいったのでしょうか。

番組では、各コメンテイターにその理由を求めていますね。

画像1

石川浩司「SMAPが出てきた」
大槻ケンヂ「話題がサッカーに変わった」
萩原健太「カラオケボックスの出現!」
綾小路翔「高校二年生の学園祭」

翔やんの場合は、團長の個人的な絶望的経験を通して、その青春の苦い思い出を語ってて涙を誘ったのですが、そこに行きつく理由が重要でして、ぱっと揚げた先の3人の答えは文字通り三者三葉でありました。

石川さんの回答には“歌謡曲の復権”的なテロップが入りましたが、SMAPが実質的に売れるのは、もう少し後でしょうから、音楽シーンの多様化ととらえたほうがよさそうです。その多様化を後押ししたのがバンド・ブーム自身なのも皮肉だったのではありますが。また、女性アイドルに至っては俗にいう“アイドル冬の時代”の真っただ中、森高さんが孤軍奮闘していたといったところでしょう。

大槻さんは“サッカー・ブーム”をあげていますが、確かにJリーグ開幕を控えたあの時期は物凄い盛り上がりをみせていました。絶対的巨城を築いていたはずの野球や、若貴ブームの相撲さえかすむ、凄まじいムーヴメントでした。
あのまま日本代表が、94年のFIFAワールドカップに出ていたらどうなっていたか予想がつきません。より盛りあがったかもしれないし、それこそ予選敗退という結果から消費されてしまったかもしれない運命もありうるのです。ただ、結果的に98年に向けて、より幻想が大きくなった部分もありますから、サッカーとしては結果良しです。

そして、“カラオケ”。正確には各地へのボックスの定着と、レーザー化による曲数の増加、この二つがポイントでしょう。つまり手軽にできるようになった、8トラックと違って一部の定番以外にも展開が広がっていったということです。萩原さんは「“好きに歌う“という表現をするにあたって、まずバンドを組まないといけなかった時代から、誰でもできるようになった」と語っています。このことにより、コピーバンドクラスが一掃されていく背景は絶対にありましょう。

++++++++++++++++++++

それぞれ一理ありますが、あくまでそれらは興味の移ろい先です。結局ロックのルーツにあたっていくような強者でない、俗にいうミーハー的な感性の方々が飽きてしまった、消費しつくしてしまった背景をあたらなければいけないと思います。

その理由をはっきりいえば、粗製濫造、それしかありません。
91年には500以上のバンドがメジャーデビューしたと番組でも言っていますが、どれだけ生き残ったか…出オチのネタバンドと言い切ってしまえるようなイロモノも少なくなく、こっちは高校生なのに見ていて恥ずかしいというか…痛々しいのも正直ありました。
それに多くの事務所やマネージャーが、メジャー契約金(一応まだバブル末期)を手にしてえらいことになったという、あるある話をおのおの語っていましたが、そうして潰れていった人間関係も多くあったと推測されます。

では、なぜそんな状態になってしまったのでしょうか。思うに、それこそイカ天、…いかすバンド天国の罪業です。
イカ天グランドチャンピオンの顔ぶれをみると、FLYING KIDS、BEGIN、たま、マルコシアス・バンプ、リトル・クリーチャーズ、BLANKEY JET CITY、PANIC IN THE ZU:と、かなりのレベルですが、正直ただのイカ天キングだとメジャーに行ける行けないの当落線上という感じです。
それでもキングはほぼほぼデビューしましたし、リニューアル前の89年の出演者は、何か目立っていれば、それなりにデビューへの道が開けるくらいの話題性はありました。

番組自体は、構成作家が、大麻を買ったかどで複数回逮捕されたりしたため、リニューアルを余儀なくされ、一から作った審査員のキャラをゼロからやり直すといった改革が、思うような成果(視聴率)をあげられなかったことなどから終了してしまいます。
さきに第6代グランドチャンピオンのBLANKEY JET CITYの名をあげましたが、彼らに見るように決して上位のレベルが落ちていたとは思いません。むろん、事務所の仕掛けによるあざとい出演者が鼻につくような感覚はありましたが。
そして、先の契約金の話です。それなりの評判をとれば総取りできると踏んだ悪徳事務所やマネージャーが跋扈しだす、うまいことバンドを利用しようとしだす…というわけです。

ここからはたぶんの話ですが、80年代ずっとライブハウスの出演を繰り返してきたバンドはそれなりにいました、よってメジャーの敷居が低くなってしまった場合、そこに合わせていく姿勢になるのもやむなしだったのでしょう。ただバンドの絶対数が飽和状態でしたから、いかに目立つかというヴィジュアル面の戦略や、小手先の話題造りがモノを言ったのも事実でしょう。その悪い見本市が「イカ天」だった、ゆえにじっくり腰を据えたプロモーションなり、バンドの育成が片手間になってしまった…結果として、深みのないバンドは結局飽きられていった、…そういう結論で間違っていないと思います。

いみじくも、①のお金の話でも触れた、XのYOSHIKIさんが言っておりました「元気が出るテレビとかでて、さんざんバカにされたから死ぬ気で練習した」と。無論プロモーションとして開き直って部分はありましょうが、あまりにロック界が閉鎖的だった時代に、時代にそぐわない早すぎる戦略を打ったのは確かでした。
実際、高校生だった自分も白い目で見ていましたから。
だからこそ、妥協なき地獄のレコーディングで伝説となったインディーズ盤『Vanishing Vision』は、音質の悪さは置いといて、充実の内容で、当時のインディーズの売り上げ記録を更新しまくりました。
ただ、その決して手を緩めない姿勢を現在まで貫いた結果が“今”だとしたら、ちょっとやりすぎだったかな…とは思うのではあります。

まぁ、安易で安直な総括になりますが、安易で安直なことするなということですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?